呻吟語 / 内篇・存心・士の尊ぶ可く貴ぶ可き所以は、道有るを以てなり
讀書人只是個氣高,欲人尊己;志卑,欲人利己,便是至愚極陋。只看四書六經千言萬語教人是如此不是?士之所以可尊可貴者,以有道也。這般見識,有什麼可尊貴處?小子戒之。
新字:読書人只是個気高,欲人尊己;志卑,欲人利己,便是至愚極陋。只看四書六経千言万語教人是如此不是?士之所以可尊可貴者,以有道也。這般見識,有什麼可尊貴処?小子戒之。
書き下し
讀書人は只だ是れ個の氣高くして、人の己を尊ぶを欲し、志卑くして、人の己を利するを欲す。便ち是れ至愚極陋なり。只だ四書六經の千言萬語、人に教ふるは是くのごとくなるか是くのごとくならざるかを看よ。士の尊ぶ可く貴ぶ可き所以は、道有るを以てなり。這般の見識、什麼の尊貴す可き處か有らん。小子之を戒めよ。
現代語訳
読書人はただ気位が高く、人が自分を尊ぶことを望み、志は低く、人が自分を利することを望む。これこそ至って愚かで極めて卑しいことです。四書六経の千の言葉万の言葉が、人に教えているのはこういうことかどうか、見てごらんなさい。士が尊ばれ貴ばれるゆえんは、道があるからです。こんな見識のどこに尊び貴ぶべきところがありましょうか。若い者よ、これを戒めとしなさい。
解説
読書人の倒錯が突かれます。気位は高いのに志は低い、という組み合わせが的確です。尊敬は求めるが、求める中身は自分を利することでしかない。そして検証の方法が示されます。四書六経が教えているのはこういうことか見てみよ、と。学んだ書物そのものを物差しにして、学んだ者を測る。最後は若い者への戒めとして閉じられます。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
読書人気位志道倒錯
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