呻吟語 / 内篇・存心・舜禹は天下を有ちて與らず
滿面目都是富貴,此是市井小兒,不堪入有道門墻,徒令人嘔吐而為之羞耳。若見得大時,舜禹有天下而不與。
新字:満面目都是富貴,此是市井小児,不堪入有道門墻,徒令人嘔吐而為之羞耳。若見得大時,舜禹有天下而不与。
書き下し
滿面目都て是れ富貴なるは、此れは是れ市井の小兒なり。有道の門墻に入るに堪へず、徒らに人をして嘔吐せしめて之が為に羞づるのみ。若し見ること大なる時は、舜禹は天下を有ちて與らず。
現代語訳
顔じゅうが富や貴さでいっぱいなのは、市場の子どもです。道ある人の門をくぐるに堪えず、ただ人に吐き気を催させ、そのために恥をかかせるだけです。もし大きく見られるようになれば、舜や禹は天下を持ちながらそこに与しませんでした。
解説
富貴が顔に出ている人が、市場の子どもと呼ばれます。手厳しい評ですが、理由は幼さにあります。手に入れたものを顔に出すのは子どものすることだ、と。そして対比として舜と禹が置かれる。天下という最大のものを持ちながら、そこに与しなかった人たちです。持っていないから執着しないのではなく、持っていてなお与しないという水準が示されます。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
富貴顔幼さ舜禹不与
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