呻吟語 / 内篇・存心・君は依舊として是れ利心なり
一里人事專利己,屢為訓說不從。後每每作善事,好施貧救難,予喜之,稱曰:「君近日作事,每每在天理上留心,何所感悟而然?」曰:「近日讀司馬溫公語,有云:『不如積陰德於冥冥之中,以為子孫長久之計。』」予笑曰:「君依舊是利心,子孫安得受福?」
新字:一里人事専利己,屡為訓説不従。後毎毎作善事,好施貧救難,予喜之,称曰:「君近日作事,毎毎在天理上留心,何所感悟而然?」曰:「近日読司馬温公語,有云:『不如積陰徳於冥冥之中,以為子孫長久之計。』」予笑曰:「君依旧是利心,子孫安得受福?」
書き下し
一里人は事に己を利するを專らにし、屢〻訓說を為すも從はず。後に每每善事を作し、貧に施し難を救ふを好む。予之を喜び、稱して曰く、「君近日事を作すに、每每天理の上に心を留む。何に感悟する所ありて然るか」と。曰く、「近日司馬溫公の語を讀むに、云ふ有り、『冥冥の中に陰德を積み、以て子孫長久の計と為すに如かず』と」と。予笑ひて曰く、「君は依舊として是れ利心なり。子孫安んぞ福を受くるを得んや」と。
現代語訳
同じ里のある人は、何かにつけ自分の利ばかりを図り、何度説き聞かせても従いませんでした。ところが後になって、たびたび善い事をし、貧しい者に施し困った者を救うのを好むようになりました。私はこれを喜んで、褒めて言いました。あなたは近ごろ事を行うのに、いつも天の理に心を留めている。何に感じ悟ってそうなったのですか。答えて言いました。近ごろ司馬温公の言葉を読みましたら、人知れぬところに陰徳を積んで、子孫の長久の計とするにこしたことはない、とありました。私は笑って言いました。あなたは相変わらず利の心です。子孫がどうして福を受けられましょうか。
解説

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