呻吟語 / 内篇・存心・只だ人心に在りて工夫を做す
學者欲在自家心上做工夫,只在人心做工夫。
新字:学者欲在自家心上做工夫,只在人心做工夫。
書き下し
學者は自家の心上に在りて工夫を做さんと欲せば、只だ人心に在りて工夫を做せ。
現代語訳
学ぶ者が自分の心の上で工夫をしようと思うなら、ただ人の心の上で工夫をしなさい。
解説
自分の心を鍛える方法として、人の心を扱うことが示されます。座って内省するのではなく、人と関わる場で工夫せよ、と。相手の心を推し量り、応じ、時に耐えることが、そのまま自分の心の工夫になるという考え方です。二十字の短い一句ですが、修養が閉じた作業になりがちなことへの、実際的な向き直しになっています。内省だけで完結させないところに、この書の実務的な性格がよく表れています。
この章句が説くこと
自心人心工夫関係実地
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