呻吟語 / 内篇・存心・用心は有無の間に在り
物有以慢藏而失,亦有以謹藏而失者;禮有以疏忽而誤,亦有以敬畏而誤者。故用心在有無之間。
新字:物有以慢蔵而失,亦有以謹蔵而失者;礼有以疏忽而誤,亦有以敬畏而誤者。故用心在有無之間。
書き下し
物には慢藏を以て失ふ有り、亦た謹藏を以て失ふ者有り。禮には疏忽を以て誤る有り、亦た敬畏を以て誤る者有り。故に用心は有無の間に在り。
現代語訳
物には、しまい方がぞんざいで失うものもあれば、しまい方が念入りすぎて失うものもあります。礼には、おろそかにして誤るものもあれば、敬い恐れるあまり誤るものもあります。ですから心の用い方は、有ると無いのあいだにあります。
解説
失敗が両端から起きることが二つの例で示されます。ぞんざいにしまっても失うが、念入りにしまいすぎても失う。おろそかにしても誤るが、恐れ入りすぎても誤る。片側だけを戒める教えが多いなかで、反対側にも同じだけの危険を置いているのが特徴です。だから心の用い方は有ると無いのあいだだ、と。前に出た、有無の間に活潑たり、と同じ結論です。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
両端慢蔵謹蔵敬畏中庸
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