呻吟語 / 内篇・存心・恕心養ひて極處に到れば
恕心養到極處,只看得世間人都無罪過。
新字:恕心養到極処,只看得世間人都無罪過。
書き下し
恕心養ひて極處に到れば、只だ世間の人都て罪過無きを看得るのみ。
現代語訳
思いやりの心を養って極みに至れば、ただ世の中の人にはみな罪も過ちも無い、と見えるようになるだけです。
解説
恕を極めたときに見える風景が、一行で示されます。世の人にはみな罪も過ちも無いと見える、と。許すのではなく、そもそも咎めるべきものが見えなくなるという状態です。責める心が消えれば、責める対象も消える。前に置かれた、洗い清めれば天地に一つの塵も見えない、という一段と同じ形で、外の世界が自分の状態の写しになっています。
この章句が説くこと
恕極致無罪視界寛容
関連する章句
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『呻吟語』内篇・應務・恕の一字に盡くすに足らざる者有り世に處するは只だ一の恕の字なり。已を以て人に及ぼし、人を視ること己のごとしと謂ふ可し。然れども以て盡くすに足らざる者有り。天下の事は、已の欲せずして人の欲する者有り、己の欲して人の欲せざる者有り。
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『呻吟語』内篇・應務・寧ろ恕に過ぎて以て人の情を逃す人に言ひて意を達する能はざる者有り、其の狀其の本心に非ざる者有り、其の言貌其の本心を誣ふる者有り。君子の人を現るは、其の察に過ぎて人の心を誣ふるよりは、寧ろ恕に過ぎて以て人の情を逃さん。
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『呻吟語』外篇・人情・恕を行ふ者は審らかにせざる可からず恕の一字は、是れ個の好道理なり。那の惟心者は是れ甚麼の念頭かを看よ。好色者は人の淫を恕し、好貨者は人の貪を恕し、好飲者は人の醉を恕し、好安逸者は人の惰慢を恕す。未だ嘗て己を以て人を度らずんばあらず、未だ嘗て人を視ること己の猶くせずんばあらず。而して道の賊なり。故に恕を行ふ者は、以て審らかにせざる可からざるなり。
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『呻吟語』外篇・品藻・還た須らく個の恕を養ひ出だすべし強恕は、須らく是れ這の恕心有りて才かに好かるべし。勉強して推し去るに、若し他人の饑寒痛楚を視て漠然として通ど心を動かさずんば、是れ恕念已に無し。更に個の甚をか強ひん。還た須らく個の恕を養ひ出だして、才かに與に強を說くべし。
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『呻吟語』外篇・治道・天地の和を傷る恕なる者は、聖人の仁なり。彼の平ならざる者は、之に加ふるに深きを以てし、恕ならざる者は、之に加ふるに刻を以てす。其の天地の和を傷ること多し。
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