呻吟語 / 外篇・品藻・還た須らく個の恕を養ひ出だすべし
強恕,須是有這恕心才好。勉強推去,若視他人饑寒痛楚漠然通不動心,是恕念已無,更強個甚?還須是養個恕出來,才好與他說強。
新字:強恕,須是有這恕心才好。勉強推去,若視他人饑寒痛楚漠然通不動心,是恕念已無,更強個甚?還須是養個恕出来,才好与他説強。
書き下し
強恕は、須らく是れ這の恕心有りて才かに好かるべし。勉強して推し去るに、若し他人の饑寒痛楚を視て漠然として通ど心を動かさずんば、是れ恕念已に無し。更に個の甚をか強ひん。還た須らく個の恕を養ひ出だして、才かに與に強を說くべし。
現代語訳
努めて思いやるには、そもそもその思いやる心があって初めて成り立ちます。努力して推し及ぼそうとしても、もし他人の飢えや寒さや痛みや苦しみを見て、まるで心が動かないなら、思いやる念はすでにありません。それ以上何を努めるのでしょうか。まず思いやる心を養い育ててから、初めて努めることを語れます。
解説
努めて思いやることに、前提条件を置きます。思いやる心そのものが無ければ、努力の土台がありません。他人の苦しみを見て心が動かないなら、まず心を養え、と。強恕を最も不器用な学問としたのは前に出てきた通りですが、ここではその不器用な学問にも入口の条件があると示されています。不器用な学問にも、入口の条件があると示されています。
この章句が説くこと
強恕前提共感養う努力
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