呻吟語 / 内篇・存心・各〻癢き處に就きて之を搔く
無技癢心,是多大涵養!故程子見獵而癢。學者各有所癢,便當各就癢處搔之。
新字:無技癢心,是多大涵養!故程子見猟而癢。学者各有所癢,便当各就癢処搔之。
書き下し
技癢の心無きは、是れ多大の涵養ぞ。故に程子は獵を見て癢し。學者は各〻癢き所有り、便ち當に各〻癢き處に就きて之を搔くべし。
現代語訳
腕がむずむずする心が無いのは、どれほどの養いでしょうか。だからこそ程子は狩りを見てむずむずしました。学ぶ者にはそれぞれむずむずするところがあるので、それぞれそのかゆいところを掻くべきです。
解説
程顥が若い頃に好んだ狩りを見て心が動いた、という有名な逸話が引かれます。長年修めた人でも癖は残るという例です。ここで面白いのは処方で、抑えよとは言わずに、かゆいところを掻け、と言うところ。自分のむずむずする場所を知って、そこを重点的に扱えという意味に読めます。人それぞれ弱点が違うのだから、一律の修養では効かないという実際的な指摘です。
この章句が説くこと
技癢程子癖自覚重点
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