呻吟語 / 内篇・修身・心を養ふには先づ個の分を知るを要す
所性分定原是無限量的,終身行之不盡。此外都是人欲,最不可萌一毫歆羨心。天之生人各有一定的分涯,聖人制人各有一定的品節,譬之擔夫欲肩輿,丐人欲鼎食,徒爾勞心,竟亦何益?嗟夫!篡奪之所由生,而大亂之所由起,皆恥其分內之不足安,而惟見分外者之可貪可欲故也。故學者養心先要個知分。
新字:所性分定原是無限量的,終身行之不尽。此外都是人欲,最不可萌一毫歆羨心。天之生人各有一定的分涯,聖人制人各有一定的品節,譬之担夫欲肩輿,丐人欲鼎食,徒爾労心,竟亦何益?嗟夫!篡奪之所由生,而大乱之所由起,皆恥其分内之不足安,而惟見分外者之可貪可欲故也。故学者養心先要個知分。
書き下し
性する所の分定は原と是れ限量無き的なり、終身之を行ひて盡きず。此の外は都て是れ人欲なり。最も一毫の歆羨心を萌す可からず。天の人を生ずるに各おの一定の分涯有り、聖人の人を制するに各おの一定の品節有り。之を譬ふれば擔夫の肩輿を欲し、丐人の鼎食を欲するがごとし。徒爾らに心を勞するも、竟に亦た何の益あらん。嗟夫、篡奪の由りて生ずる所、大亂の由りて起こる所は、皆な其の分內の足るに安んぜざるを恥ぢて、惟だ分外の者の貪る可く欲す可きを見るが故なり。故に學者心を養ふには先づ個の分を知るを要す。
現代語訳
本性として定まっている分は、もともと限りの無いもので、一生かけて行っても尽きません。それ以外はすべて人欲です。少しでも羨む心を芽生えさせてはなりません。天が人を生むにはそれぞれ定まった範囲があり、聖人が人を律するにもそれぞれ定まった区切りがあります。たとえれば、駕籠かきが駕籠に乗りたがり、乞う者が鼎の料理を望むようなものです。無駄に心を労しても、結局何の益があるでしょうか。ああ、簒奪が生まれ大乱が起こるのは、みな自分の分の内で足りることを恥じて、分の外のものばかりを貪り欲しく見るからです。だから学ぶ者が心を養うには、まず分を知ることが必要です。
解説
前の段の問いに答えます。道理を貪ってよいのは、それが本性の分の内側にあり、しかも尽きないからです。逆に分の外を求めれば人欲になる。駕籠かきと乞食のたとえは当時の身分観そのもので、今の目には受け入れがたい部分もあります。ただ、限りの無いものを求めよという前半の主張は、身分の枠を外しても読める骨のある議論です。
この章句が説くこと
分人欲限量羨み知分
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