呻吟語 / 内篇・存心・熟〻正鵠を視て後に弓を開く
吾輩所欠,只是涵養不純不定。故言則矢口所發,不當事,不循物,不宜人;事則恣意所行,或太過,或不及,或悖理。若涵養得定,如熟視正鵠而後開弓,矢矢中的;細量分寸而後投針,處處中穴,此是真正體驗,實用工夫,總來只是個沉靜。沉靜了,發出來,件件都是天則。
新字:吾輩所欠,只是涵養不純不定。故言則矢口所発,不当事,不循物,不宜人;事則恣意所行,或太過,或不及,或悖理。若涵養得定,如熟視正鵠而後開弓,矢矢中的;細量分寸而後投針,処処中穴,此是真正体験,実用工夫,総来只是個沈静。沈静了,発出来,件件都是天則。
書き下し
吾輩の欠く所は、只だ是れ涵養の純ならず定まらざるのみ。故に言へば則ち矢口に發する所、事に當たらず、物に循はず、人に宜しからず。事とすれば則ち恣意に行ふ所、或いは太過、或いは不及、或いは理に悖る。若し涵養し得て定まれば、熟〻正鵠を視て後に弓を開くがごとく、矢矢的に中たる。細かに分寸を量りて後に針を投ずるがごとく、處處穴に中たる。此れは是れ真正の體驗、實用の工夫なり。總じて來たれば只だ是れ個の沉靜なり。沉靜し了りて、發し出で來たれば、件件都て是れ天則なり。
現代語訳
私たちに欠けているのは、ただ養いが純粋でなく定まっていないことだけです。だから話せば口をついて出るままで、事に当たらず、物に沿わず、人にふさわしくありません。事を行えば思うままで、行き過ぎたり届かなかったり、道理に背いたりします。もし養いが定まれば、じっと的を見てから弓を引くように、矢が一本ずつ的に当たります。細かく寸法を測ってから針を投げるように、どこも穴に当たります。これこそ本当の体験であり、実用の工夫です。まとめて言えば、ただ沈んで静かであることです。沈み静まってから出てくれば、一つ一つがすべて天の法にかないます。
解説
言葉と行いの外れ方が先に示されます。口をついて出るままだから当たらず、思うままに行うから行き過ぎるか届かない。そして養いが定まったときの姿が、弓と針の比喩で描かれます。的を見てから引く、寸法を測ってから投げる。どちらも先に静止があって、その後に動作が来ます。順序が逆になっているのが外れの原因だ、という診断が明快です。
この章句が説くこと
涵養順序正鵠沈静天則
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