呻吟語 / 内篇・存心・其の要は只だ存心に在り
人生在天地間,無日不動念,就有個動念底道理;無日不說話,就有個說話底道理;無日不處事,就有個處事底道理;無日不接人,就有個接人底道理;無日不理物,就有個理物底道理;以至怨怒笑歌、傷悲感歎、顧盼指示、咳唾涕洟、隱微委曲、造次顛沛、疾病危亡,莫不各有道理。只是時時體認,件件講求。細行小物尚求合則,彝倫大節豈可逾閑?故始自垂髫,終於屬纊,持一個自強不息之心,通乎晝夜,要之於純一不已之地,忘乎死生。此還本歸全之道,戴天履地之宜。不然,恣情縱意而各求遂其所欲,凡有知覺運動者皆然,無取於萬物之靈矣。或曰:「有要乎?」曰:「有。其要只在存心。」「心何以存?」曰:「只在主靜。只靜了,千酬萬應都在道理上,事事不錯。」
新字:人生在天地間,無日不動念,就有個動念底道理;無日不説話,就有個説話底道理;無日不処事,就有個処事底道理;無日不接人,就有個接人底道理;無日不理物,就有個理物底道理;以至怨怒笑歌、傷悲感嘆、顧盼指示、咳唾涕洟、隠微委曲、造次顛沛、疾病危亡,莫不各有道理。只是時時体認,件件講求。細行小物尚求合則,彝倫大節豈可逾閑?故始自垂髫,終於属纊,持一個自強不息之心,通乎昼夜,要之於純一不已之地,忘乎死生。此還本帰全之道,戴天履地之宜。不然,恣情縦意而各求遂其所欲,凡有知覚運動者皆然,無取於万物之霊矣。或曰:「有要乎?」曰:「有。其要只在存心。」「心何以存?」曰:「只在主静。只静了,千酬万応都在道理上,事事不錯。」
書き下し
人の天地の間に在る、日として念を動かさざる無し、就ち個の念を動かす底の道理有り。日として話を說かざる無し、就ち個の話を說く底の道理有り。日として事に處らざる無し、就ち個の事に處る底の道理有り。日として人に接せざる無し、就ち個の人に接する底の道理有り。日として物を理めざる無し、就ち個の物を理むる底の道理有り。以て怨怒笑歌・傷悲感歎・顧盼指示・咳唾涕洟・隱微委曲・造次顛沛・疾病危亡に至るまで、各〻道理有らざる莫し。只だ是れ時時に體認し、件件に講求せよ。細行小物すら尚ほ則に合ふを求む、彝倫の大節豈に閑を逾ゆ可けんや。故に垂髫に始まり、屬纊に終はるまで、一個の自強不息の心を持し、晝夜に通じ、之を純一不已の地に要め、死生を忘る。此れ本に還り全きに歸するの道、天を戴き地を履むの宜なり。然らずして、情を恣にし意を縱にして各〻其の欲する所を遂げんことを求むるは、凡そ知覺運動有る者皆然り、萬物の靈に取る無きなり。或ひと曰く、「要有りや」と。曰く、「有り。其の要は只だ存心に在り」と。「心は何を以て存せん」と。曰く、「只だ靜を主とするに在り。只だ靜まれば、千酬萬應都て道理の上に在り、事事錯らず」と。
現代語訳
人が天地のあいだにあって、思いを動かさない日はありません。ならば思いを動かすことの道理があるはずです。話をしない日はありません。ならば話をすることの道理があるはずです。事に対処しない日はなく、人に接しない日はなく、物を治めない日はありません。それぞれに道理があるはずです。怨み怒り笑い歌い、悲しみ嘆き、目配せし指さし、咳をし涙を流し、細かく入り組んだこと、慌ただしいとき、病や危うい死に至るまで、どれにも道理がないものはありません。ただ折々に体で確かめ、一つ一つ究めなさい。細かい行いや小さな物でさえ法にかなうことを求めるのに、人倫の大きな節目がどうして枠をはみ出してよいでしょうか。ですから髪を垂らした幼い時から、息を引き取るときまで、自ら強め休まない心を保ち、昼も夜も通し、純一でやまない境地に収めて、生死を忘れる。これが本に還り全きに帰する道であり、天を戴き地を踏む者のあるべき姿です。そうではなく、情をほしいままにし意を放って思うままを遂げようとするのは、知覚と運動のあるものならみなそうであって、万物の霊たるゆえんがありません。ある人が問いました。要点はありますか。答えます。あります。その要点はただ心を保つことにあります。心はどうやって保つのですか。答えます。ただ静を主とすることにあります。ただ静まれば、千も万もの応対がすべて道理の上にあり、事ごとに誤りません。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『呻吟語』内篇・存心・靜は萬理の橐籥、萬化の樞紐なり天地萬物の理は、靜より出でて、靜に入る。人心の理は、靜より發して、靜に歸す。靜は、萬理の橐籥、萬化の樞紐なり。動中に發し出で來たるは、天則と便ち相似ず。故に暴肆の人と雖も、平旦皆良心有るは、靜に發すればなり。過ぎて後皆悔心有るは、靜に歸すればなり。
-
『呻吟語』内篇・存心・一刻も心腔子の裡に在らざれば、便ち是れ空軀殼士君子の人と作る、事事時時只だ個の心を用ふるを要す。一事も心中より出でざれば、便ち是れ亂りに舉動するなり。一刻も心腔子の裡に在らざれば、便ち是れ空軀殼なり。
-
『呻吟語』内篇・存心・這の念頭は天地萬物の為か、我が為か舉世都て是れ我が心なり。這の我が心を去り了らば、便ち是れ四通八達、六合の内に一些の界限無し。我が心を去らんと要せば、須らく時時に省察すべし。這の念頭は是れ天地萬物の為か、是れ我が為か。
-
『呻吟語』内篇・談道・事事只だ道理上に商量す事事只だ道理の上に在りて商量すれば、便ち是れ真の體認なり。
-
『呻吟語』内篇・存心・渾身都て是れ過失なるを見る心を存せざれば、自家の不是を看出だす能はず。只だ動靜語默、物に接し事に應ずる時に於いて、件件に一たび想ひ想ふれば、便ち渾身都て是れ過失なるを見る。須らく動けば天則に合ひ、然る後に是と為すべし。日用の間、如何ぞ一時も疏忽し得んや。學者之を思へ。
-
『呻吟語』内篇・存心・熟〻正鵠を視て後に弓を開く吾輩の欠く所は、只だ是れ涵養の純ならず定まらざるのみ。故に言へば則ち矢口に發する所、事に當たらず、物に循はず、人に宜しからず。事とすれば則ち恣意に行ふ所、或いは太過、或いは不及、或いは理に悖る。若し涵養し得て定まれば、熟〻正鵠を視て後に弓を開くがごとく、矢矢的に中たる。細かに分寸を量りて後に針を投ずるがごとく、處處穴に中たる。此れは是れ真正の體驗、實用の工夫なり。總じて來たれば只だ是れ個の沉靜なり。沉靜し了りて、發し出で來たれば、件件都て是れ天則なり。