呻吟語 / 内篇・存心・渾身都て是れ過失なるを見る
不存心,看不出自家不是。只於動靜語默、接物應事時,件件想一想,便見渾身都是過失。須動合天則,然後為是。日用間,如何疏忽得一時?學者思之。
新字:不存心,看不出自家不是。只於動静語黙、接物応事時,件件想一想,便見渾身都是過失。須動合天則,然後為是。日用間,如何疏忽得一時?学者思之。
書き下し
心を存せざれば、自家の不是を看出だす能はず。只だ動靜語默、物に接し事に應ずる時に於いて、件件に一たび想ひ想ふれば、便ち渾身都て是れ過失なるを見る。須らく動けば天則に合ひ、然る後に是と為すべし。日用の間、如何ぞ一時も疏忽し得んや。學者之を思へ。
現代語訳
心を保っていなければ、自分の間違いを見つけ出すことができません。ただ動と静、語ると黙る、物に接し事に応じるときに、一つ一つ考えてみれば、体じゅうがすべて過失だと見えてきます。動けば天の法にかなう、そうなってはじめて良しとすべきです。日常のあいだ、どうして一時でもおろそかにできるでしょうか。学ぶ者よ、これを考えなさい。
解説
自分の間違いが見えない理由が示されます。心を保っていないからだ、と。そして見えるようになる方法は、一つ一つ考えてみることだけ。すると体じゅうが過失だらけに見えてくる、と言います。見えないのは間違いがないからではなく、見る構えがないからだという指摘で、自己点検が習慣として成り立つかどうかを問うています。
この章句が説くこと
存心点検自覚天則日用
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