呻吟語 / 内篇・存心・是れ空身にして歸り去るなり
屬纊之時,般般都帶不得,惟是帶得此心。卻教壞了,是空身歸去矣,可為萬古一恨。
新字:属纊之時,般般都帯不得,惟是帯得此心。却教壊了,是空身帰去矣,可為万古一恨。
書き下し
屬纊の時、般般都て帶び得ず、惟だ是れ此の心を帶び得るのみ。卻つて壞し了らしむれば、是れ空身にして歸り去るなり。萬古一恨と為す可し。
現代語訳
息を引き取るとき、何ひとつ持って行けません。ただこの心だけを持って行けます。それなのに壊してしまえば、手ぶらで帰ることになります。万古の恨みとすべきです。
解説
死の場面から逆算して、持って行けるものが数えられます。物はすべて置いていくしかなく、持って行けるのは心だけ。ところがその一つを壊してしまえば手ぶらになる、と。財も名も数に入っていないのが徹底しています。万古一恨という強い言葉で締められ、心を損なうことが取り返しのつかない損失だと示されます。存心篇の主題を、終点の側から照らした一段です。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
臨終携帯心空身遺恨
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