呻吟語 / 内篇・存心・豆を種うれば、其の苗必ず豆なり
種豆,其苗必豆;種瓜,其苗必瓜,未有所存如是而所發不如是者。心本人欲而事欲天理,心本邪曲而言欲正直,其將能乎?是以君子慎其所存,所存是,種種皆是;所存非,種種皆非,未有分毫爽者。
新字:種豆,其苗必豆;種瓜,其苗必瓜,未有所存如是而所発不如是者。心本人欲而事欲天理,心本邪曲而言欲正直,其将能乎?是以君子慎其所存,所存是,種種皆是;所存非,種種皆非,未有分毫爽者。
書き下し
豆を種うれば、其の苗必ず豆なり。瓜を種うれば、其の苗必ず瓜なり。未だ存する所是くのごとくにして發する所是くのごとくならざる者有らず。心は本と人欲にして事は天理ならんと欲し、心は本と邪曲にして言は正直ならんと欲す、其れ將に能くせんや。是を以て君子は其の存する所を慎む。存する所是なれば、種種皆是なり。存する所非なれば、種種皆非なり。未だ分毫も爽ふ者有らず。
現代語訳
豆を植えれば、その芽は必ず豆です。瓜を植えれば、その芽は必ず瓜です。心に蓄えたものがこうでありながら、現れ出るものがそうでない例はありません。心はもともと人の欲でありながら、行いは天の理でありたいと願い、心はもともと邪で曲がっていながら、言葉は正直でありたいと願う。そんなことができるでしょうか。ですから君子は、心に蓄えるものを慎みます。蓄えたものが正しければ、あらゆるものが正しい。蓄えたものが誤っていれば、あらゆるものが誤っています。わずかも違うことがありません。
解説
豆と瓜のたとえで、心と行いの一致が説かれます。植えたものと出てくるものが違う例はない、と。そして矛盾した願いが二つ挙げられます。心は欲のまま行いは天理でありたい、心は曲がったまま言葉は正直でありたい。誰もが持つこの願いが、種と芽の理屈で断ち切られます。だから慎むべきは行いではなく、心に蓄えるもののほうだという結論になります。

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見るこの章句が説くこと
種苗一致存心矛盾慎重
関連する章句
-
『酔古堂剣掃』集法・拙く初めに戒む其の巧みに末に持せんよりは、拙く初めに戒むるに若かず。
-
尉繚子・十二陵慎は小を畏るるに在り、智は大を治むるに在り、害を除くは敢断に在り、
-
『囲炉夜話』第六十八則・好事の人は必ず曉事の人に非ず古今の為す有るの士は、皆な輕がろしく為さざるの士なり。鄉黨の事を好むの人は、必ず事に曉るの人に非ず。
-
論語・為政篇子張禄を干(もと)むを学ぶ。子曰く、多く聞いて疑わしきを闕(か)き、其の余を慎言すれば、則ち尤(とがめ)寡なし。多く見て殆(あやう)きを闕き、其の余を慎行すれば、則ち悔寡なし。言に尤寡なく、行に悔寡なければ、禄は其の中に在り。
-
『武家家訓集』武田信繁家訓九十九箇条「第28〜30条」一、深く知晉たりと雖も、人前に於いて妄りに雜談すべからざる事。語に云ふ、三たび思ひて一たび言ひ、九たび思ひて一たび行ふ、と。 一、參禪嗜むべき事。語に曰く、參禪に別に秘決無し、唯だ生死を思ふこと切なり、と。 一、何れの時にも歸宿の時は、先へ使者を遣はすべし。自然留守番衆の行儀等油斷の砌、折檻閣き難く、又細事を以て礼明すれば、際限無からんか。云ふ、敎へずして殺す、之を逆と云ふ、と。
-
『格言聯璧』持躬類・難久の友は交はること休かれ酬い難きの恩は受くること休かれ、久しくし難きの友は交はること休かれ。 再びし難きの時は失ふこと休かれ、守り難きの財は積むこと休かれ。 雪ぎ難きの謗りは辯ずること休かれ、釋き難きの忿りは較ぶること休かれ。 飯は嚼まずして便ち咽むこと休かれ、路は看ずして便ち走ること休かれ、話は想はずして便ち說くこと休かれ、事は想はずして便ち做すこと休かれ、衣は慎まずして便ち脫ぐを要せず、財は審かにせずして便ち取ること休かれ、氣は忍ばずして便ち動くこと休かれ、友は擇ばずして便ち交はること休かれ。