呻吟語 / 内篇・存心・此れ見聞の障なり
「投佳果於便溺,濯而獻之,食乎?」曰:「不食。」「不見而食之,病乎?」曰:「不病。」「隔山而指罵之,聞乎?」曰:「不聞。」「對面而指罵之,怒乎?」曰:「怒。」曰:「此見聞障也。夫能使見而食,聞而不怒,雖入黑海、蹈白刃,可也!此煉心者之所當知也。」
新字:「投佳果於便溺,濯而献之,食乎?」曰:「不食。」「不見而食之,病乎?」曰:「不病。」「隔山而指罵之,聞乎?」曰:「不聞。」「対面而指罵之,怒乎?」曰:「怒。」曰:「此見聞障也。夫能使見而食,聞而不怒,雖入黒海、蹈白刃,可也!此煉心者之所当知也。」
書き下し
「佳果を便溺に投じ、濯ひて之を獻ぜば、食らふか」と。曰く、「食らはず」と。「見ずして之を食らはば、病むか」と。曰く、「病まず」と。「山を隔てて之を指して罵らば、聞こゆるか」と。曰く、「聞こえず」と。「面に對して之を指して罵らば、怒るか」と。曰く、「怒る」と。曰く、「此れ見聞の障なり。夫れ能く見て食らひ、聞きて怒らざらしむれば、黑海に入り白刃を蹈むと雖も、可なり。此れ心を煉る者の當に知るべき所なり」と。
現代語訳
良い果物を便所に落とし、洗って差し出したら、食べますか。答えます。食べません。見ないで食べたら、病気になりますか。答えます。なりません。山を隔てて指さして罵られたら、聞こえますか。答えます。聞こえません。面と向かって指さして罵られたら、怒りますか。答えます。怒ります。そこで言います。これが見聞の障りです。見ていても食べられ、聞いても怒らないようにできるなら、黒い海に入ろうと白刃を踏もうとかまいません。これが心を鍛える者の知っておくべきことです。
解説
見たか聞いたかで反応が変わることが、二組の問答で示されます。洗った果物は見ていなければ食べられ、罵声も山の向こうなら怒りません。つまり害があるのは物や言葉ではなく、見聞きしたという事実のほうだ、と。これを見聞の障りと呼びます。そして到達点が示される。見ても食べられ、聞いても怒らないなら、白刃も踏める。心を鍛える課題が具体的に定義されています。
この章句が説くこと
見聞障り反応煉心実質
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