呻吟語 / 内篇・存心・寐は情より景を生じ、寤は景より情を生ず
寐是情生景,無情而景者,兆也;寤後景生情,無景而情者,妄也。
書き下し
寐は是れ情より景を生ず、情無くして景なる者は、兆なり。寤めて後は景より情を生ず、景無くして情なる者は、妄なり。
現代語訳
眠っているときは、情から情景が生まれます。情がないのに情景が現れるなら、それは前触れです。目覚めた後は、情景から情が生まれます。情景がないのに情が起こるなら、それは妄りな思いです。
解説
眠りと目覚めで、情と情景の順序が逆になると示されます。夢では情が先で情景が後、覚めているときは情景が先で情が後。この規則から外れたものに名が与えられます。情がないのに現れる夢の情景は前触れ、情景がないのに起こる情は妄り。とくに後者が要で、何も起きていないのに心が波立つのを妄りと呼び、根拠のない感情を見分ける物差しにしています。
この章句が説くこと
夢覚醒順序兆妄
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