呻吟語 / 内篇・存心・常に天君を主と為し、萬感を客と為す
常使天君為主、萬感為客,便好。只與他平交,已自褻其居尊之體。若跟他走去走來,被他愚弄綴哄,這是小兒童,這是真奴婢,有甚面目來靈台上坐、役使四肢百骸?可羞可笑!示兒。
新字:常使天君為主、万感為客,便好。只与他平交,已自褻其居尊之体。若跟他走去走来,被他愚弄綴哄,這是小児童,這是真奴婢,有甚面目来霊台上坐、役使四肢百骸?可羞可笑!示児。
書き下し
常に天君をして主と為らしめ、萬感をして客と為らしむれば、便ち好し。只だ他と平交するのみにても、已に自ら其の尊に居るの體を褻す。若し他に跟ひて走り去り走り來たり、他に愚弄綴哄せらるれば、這れは是れ小兒童、這れは是れ真の奴婢なり。甚の面目有りてか靈台の上に來たり坐し、四肢百骸を役使せん。羞づ可く笑ふ可し。兒に示す。
現代語訳
常に心の君を主人とし、さまざまな感覚を客とするのがよろしい。ただ対等に交わるだけでも、すでに尊い位にある体面を汚しています。もし相手について行ったり来たりし、からかわれ言いくるめられるなら、それは子どもであり、まことの召使いです。どんな顔をして心の座に坐り、手足や体じゅうを使うことができましょうか。恥ずべきであり笑うべきです。子に示す。
解説
心と感覚の上下関係が厳しく定められます。心が主人で感覚が客。ここで注意されるのは、対等に付き合うだけでも格を落とすという点です。感情と仲良くする、という現代的な言い方は、ここでは許されません。そして最後に、子に示す、と添えられます。自分に向けた戒めであると同時に、子への教えとして書きとめられた一段だと分かります。
この章句が説くこと
天君万感主客格示児
関連する章句
-
『呻吟語』内篇・存心・若し罪過有らば、都て是れ天君の承當手に手の道有り、足に足の道有り、耳目鼻口に耳目鼻口の道有り。但だ此の輩は皆是れ奴婢、都て天君の使令を聽く。之をして正を以てせしむれば順從し、之をして邪を以てせしむるも順從す。渠は自ら罪過無し。若し罪過有らば、都て是れ天君の承當なり。
-
『呻吟語』外篇・天地・心は就ち是れ天なり心は就ち是れ天なり。心を欺くは便ち是れ天を欺くなり。心に事ふるは便ち是れ天に事ふるなり。更に須らく蒼蒼の上面に向かひて討むべからず。
-
『呻吟語』内篇・存心・事事己見を執らず、樂しみて諸を人に取る念念天の知る可きは、其の我に在るを盡くすなり。事事己見を執らざるは、樂しみて諸を人に取るなり。
-
『呻吟語』内篇・修身・堂堂たる天君、卻って人欲の臣僕と為る天理と人欲と交戰する時、百戰の健兒の如く、九死にも移らず、百折にも回らず、其れ我を奈何せんとするを要す。如何ぞ堂堂たる天君にして、卻って人欲の臣僕と為らんや。內に款を受け降を受けば、腔子の中甚の世界をか成さん。
-
『呻吟語』内篇・談道・萬を客と為し、一を主と為す陽を客と為し、陰を主と為す。動を客と為し、靜を主と為す。有を客と為し、無を主と為す。萬を客と為し、一を主と為す。
-
『呻吟語』外篇・聖賢・吾が心の天故の如し日の萬形に於ける、鑒の萬象に於ける、風の萬籟に於ける、尺度權衡の輕重長短に於ける、聖人の萬事萬物に於けるは、其の本然に因りて自然を以て付し、分毫も我與る所無し。然る後に感ずる者は常に平らかに、應ずる者は常に逸なり。喜も亦た天、怒も亦た天にして、吾が心の天故の如し。萬感劻勷し、眾動轇轕するも、吾が心の天故の如し。