呻吟語 / 内篇・存心・三十年の心力を用ひて、一個の偽の字を除き得ず
用三十年心力,除一個偽字不得。或曰:「君盡尚實矣。」余曰:「所謂偽者,豈必在言行間哉?實心為民,雜一念德我之心便是偽;實心為善,雜一念求知之心便是偽;道理上該做十分,只爭一毫未滿足便是偽;汲汲於向義,才有二三心便是偽;白晝所為皆善,而夢寐有非僻之干便是偽;心中有九分,外面做得恰象十分便是偽。此獨覺之偽也,余皆不能去,恐漸漬防閑,延惡於言行間耳。」
新字:用三十年心力,除一個偽字不得。或曰:「君尽尚実矣。」余曰:「所謂偽者,豈必在言行間哉?実心為民,雑一念徳我之心便是偽;実心為善,雑一念求知之心便是偽;道理上該做十分,只争一毫未満足便是偽;汲汲於向義,才有二三心便是偽;白昼所為皆善,而夢寐有非僻之干便是偽;心中有九分,外面做得恰象十分便是偽。此独覚之偽也,余皆不能去,恐漸漬防閑,延悪於言行間耳。」
書き下し
三十年の心力を用ひて、一個の偽の字を除き得ず。或ひと曰く、「君は尚ほ實を盡くせり」と。余曰く、「所謂偽とは、豈に必ずしも言行の間に在らんや。實心もて民の為にするも、一念の我を德とするの心を雜ふれば便ち是れ偽。實心もて善を為すも、一念の知られんことを求むるの心を雜ふれば便ち是れ偽。道理上該に十分を做すべきに、只だ一毫の未だ滿足せざるを爭へば便ち是れ偽。汲汲として義に向かふも、才かに二三の心有れば便ち是れ偽。白晝為す所皆善なるも、夢寐に非僻の干有らば便ち是れ偽。心中に九分有るに、外面に做し得て恰も十分に象れば便ち是れ偽。此れ獨覺の偽なり。余は皆去る能はず、漸漬防閑して、惡を言行の間に延ぶるを恐るるのみ」と。
現代語訳
三十年の心力を使って、偽という一字を取り除くことができませんでした。ある人が、あなたは十分に実を尽くしている、と言いました。私は答えます。いわゆる偽とは、必ずしも言葉や行いのあいだにあるとは限りません。まことの心で民のためにしていても、自分を徳ある者と思う心が一つでも混じれば偽です。まことの心で善を行っていても、知られたいという心が一つでも混じれば偽です。道理の上で十分にすべきところを、わずかに足りないままにすれば偽です。せっせと義に向かっていても、少しでも二心三心があれば偽です。昼のあいだの行いがみな善でも、夢の中に邪なものが差し込めば偽です。心の中に九分あるのに、外に出すときちょうど十分に見えるようにすれば偽です。これは自分だけが気づく偽です。私はどれも取り除けません。じわじわ染みるのを防いで、悪が言葉や行いにまで及ぶのを恐れているだけです。
解説

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