呻吟語 / 内篇・存心・惟だ理義の我が心を悅ばしむるのみ
未有甘心快意而不殃身者。惟理義之悅我心,卻步步是安樂境。
新字:未有甘心快意而不殃身者。惟理義之悅我心,却歩歩是安楽境。
書き下し
未だ甘心快意にして身に殃ひせざる者有らず。惟だ理義の我が心を悅ばしむるは、卻つて步步是れ安樂の境なり。
現代語訳
思いを遂げて気持ちよくなって、身に災いのなかった例はありません。ただ道理と義が自分の心を喜ばせるときだけは、一歩ごとに安らかで楽な境地です。
解説
快の二種類が対比されます。思いを遂げた気持ちよさには必ず災いがつくが、道理と義が心を喜ばせるときは一歩ごとに安楽だ、と。孟子の、理義の我が心を悦ばしむるは芻豢の我が口を悦ばしむるがごとし、が下敷きになっています。楽しむことを否定せず、どちらの楽しみを取るかという選択として示すので、禁欲の説教になっていません。
この章句が説くこと
快意災い理義安楽選択
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