呻吟語 / 内篇・存心・欲を防ぐは逆水の舟を挽くがごとし
防欲如挽逆水之舟,才歇力便下流;力善如緣無枝之樹,才住腳便下墜。是以君子之心,無時而不敬畏也。
新字:防欲如挽逆水之舟,才歇力便下流;力善如縁無枝之樹,才住腳便下墜。是以君子之心,無時而不敬畏也。
書き下し
欲を防ぐは逆水の舟を挽くがごとし、才かに力を歇むれば便ち下流す。善に力むるは枝無きの樹に緣るがごとし、才かに腳を住むれば便ち下墜す。是を以て君子の心は、時として敬畏せざること無きなり。
現代語訳
欲を防ぐのは、流れに逆らって舟を引くようなものです。少しでも力を緩めれば下流へ流されます。善に努めるのは、枝のない木をよじ登るようなものです。少しでも足を止めれば下へ落ちます。ですから君子の心は、どんなときも敬い恐れないことがありません。
解説
二つの比喩で、修養に休みがないことが示されます。逆流を引く舟と、枝のない木。どちらも力を緩めた瞬間に位置が下がるという点で共通しています。維持という状態が存在せず、進むか落ちるかしかない、という見方です。だから常に敬い恐れる、と結ばれる。緊張を強いる言葉に見えますが、力を抜いたら戻れるという幻想を断つ、実務的な指摘でもあります。
この章句が説くこと
防欲逆水無枝維持敬畏
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