呻吟語 / 内篇・性命・聖人の口を開く處は都て是れ性なり
或問:「孔子教人,性非所先。」曰:「聖人開口處都是性。」
新字:或問:「孔子教人,性非所先。」曰:「聖人開口処都是性。」
書き下し
或ひと問ふ、「孔子の人に教ふる、性は先とする所に非ず」と。曰く、「聖人の口を開く處は都て是れ性なり」と。
現代語訳
ある人が問いました。孔子が人を教えるとき、性は真っ先に説くものではありませんでしたね。答えます。聖人が口を開くところは、すべて性です。
解説
孔子が性をめったに語らなかったという有名な指摘に、短く切り返します。語らなかったのではなく、口を開けばすべて性の話だったのだ、と。孝を説くのも礼を説くのも、結局は生まれ持ったものをどう扱うかの話だという読み方です。概念の名前が出てこないことと、その主題を扱っていないことは別だという指摘で、わずか二十八字に収められています。
この章句が説くこと
孔子性不言主題切返し
関連する章句
-
『呻吟語』内篇・性命・惟だ孔子のみ病無し性とは、理氣の總名なり。不善の理無く、皆善の氣無し。性善を論ずる者は、純ら理を以て言ふなり。性惡と善惡混とを論ずる者は、氣を兼ねて言ふなり。故に經傳の性を言ふは各各同じからず、惟だ孔子のみ病無し。
-
『呻吟語』内篇・談道・言ふ無きは即ち隱す無し「予言ふこと無からんと欲す」とは、雅言に非ず、言の顯はす能はざる所の者なり。「吾隱す無きのみ」とは、文辭に非ず、性と天道なり。說かんとすれば便ち說き來たらず、藏さんとすれば也た藏し得ず。然らば則ち言ふ無きは即ち隱す無きなり。學者の自ら悟るに在るのみ。天地何ぞ嘗て言はん、何ぞ嘗て隱さん。是を以て知る、言もて傳ふ可からざる者は、皆な日用事物に流行する者なることを。
-
『呻吟語』外篇・品藻・性分・名分は兩項ならず性分・名分は是れ兩項ならず。性分を盡くす底は名分に傲らず。之を召して見えしむれば、見えるを肯んぜず。之を召して役せしむれば、往きて執役の事をす。今の講學する者は、名分を陵犯して自ら高潔と謂ふ。孔子の乘田委吏は何ぞ嘗て大夫の庭に折腰屈膝せざらんや。噫、道の明らかならざること久し。
-
『呻吟語』内篇・性命・真機真味は涵蓄を要す真機・真味は涵蓄を要す、點破するを休めよ。其の妙は窮まり無く、言喩す可からず。所以に聖人は言無し。一たび口頰を犯さば、年を窮むるも說き盡くさず、又離披澆漓として、一些の咀嚼する處無からん。
-
『呻吟語』外篇・聖賢・一偏底の聖人孔子は是れ五行身を造り、兩儀性を成す。其の餘の聖人は金氣を得ること多き者は則ち剛明果斷、木氣を得ること多き者は則ち樸素質直、火氣を得ること多き者は則ち發揚奮迅、水氣を得ること多き者は則ち明徹圓融、土氣を得ること多き者は則ち鎮靜渾厚、陽氣を得ること多き者は則ち光明軒豁、陰氣を得ること多き者は則ち沉默精細なり。氣質既に限る所有れば、其の極を造ると雖も、終に是れ一偏底の聖人なり。此の七子は、事を共にして多く相合はず、言を共にして多く相入らず。同じき所の者は大根本大節目のみ。
-
『呻吟語』外篇・人情・未だ言はざるの先、言はざるの表聖人の世に處するは只だ人情の上に於て工夫を做す。其の人情に於けるは又た只だ未だ言はざるの先、言はざるの表の上に於て工夫を做す。