呻吟語 / 内篇・談道・我盛んなれば萬物皆な我が用と為る
我盛則萬物皆為我用,我衰則萬物皆為我病。盛衰勝負,宇宙內只有一個消息。
新字:我盛則万物皆為我用,我衰則万物皆為我病。盛衰勝負,宇宙内只有一個消息。
書き下し
我盛んなれば則ち萬物皆な我が用と為り、我衰ふれば則ち萬物皆な我が病と為る。盛衰勝負は、宇宙の內只だ一個の消息有るのみ。
現代語訳
自分が盛んであれば、あらゆる物が自分の役に立ちます。自分が衰えれば、あらゆる物が自分の病になります。盛んと衰え、勝ちと負けは、宇宙のうちにただ一つの消長があるだけです。
解説
同じ環境が、こちらの状態しだいで味方にも敵にもなる、という一段です。調子のよいときは何を見ても手がかりに見え、悪いときは何を見ても負担に見える。周囲が変わったのではなく自分が変わったのだと分かれば、環境のせいにする癖が少し緩みます。宇宙にあるのは一つの消長だけ、という結びが視野を一気に広げます。環境を嘆く前に、自分の盛衰を見よということになります。
この章句が説くこと
盛衰環境心身消長主体
関連する章句
-
説苑・奉使晏子將に荊に使いせんとす。荊王之を聞き、左右に謂いて曰く、「晏子は賢人なり。今方に來らんとす。之を辱めんと欲す、何を以てせん。」左右對えて曰く、「其の來るに爲り、臣請う一人を縛りて王を過りて行かしめん。」是に於て荊王晏子と立ちて語る。一人を縛る有り、王を過りて行く。王曰く、「何を爲す者ぞ。」對えて曰く、「齊人なり。」王曰く、「何の坐ぞ。」曰く、「盜に坐す。」王曰く、「齊人固より盜するか。」晏子反顧して之に曰く、「江南に橘有り、齊王人をして之を取りて江北に樹えしむるに、生じて橘と爲らず、乃ち枳と爲る。然る所以は何ぞ。其の土地之をして然らしむるなり。今齊人齊に居りて盜せず、荊に來りて盜す、土地之をして然らしむる無きを得んか。」荊王曰く、「吾子を傷つけんと欲して反りて自ら中れり。」
-
論語・衛霊公篇子貢、仁を為すを問う。子曰く、「工、其の事を善くせんと欲すれば、必ず先ず其の器を利くす。是の邦に居るや、其の大夫の賢者に事え、其の士の仁者を友とす。」
-
孫子・始計篇天とは、陰陽・寒暑・時制なり。
-
孟子・盡心章句下孟子曰く、「君子の陳蔡の閒に戹するは、上下の交わり無ければなり。」
-
孟子・滕文公章句下孟子、戴不勝に謂いて曰く、「子は子の王の善ならんことを欲するか。我明らかに子に告げん。此に楚の大夫有らんに、其の子の齊語せんことを欲すれば、則ち齊人をして諸に傅たらしめんか。楚人をして諸に傅たらしめんか。」曰く、「齊人をして之に傅たらしめん。」曰く、「一齊人之に傅たるも、衆楚人之を咻せば、雖日に撻(むちうつ)ちて其の齊たらんことを求むと雖も、得可からず。引いて之を莊嶽の間に置くこと數年ならば、日に撻ちて其の楚たらんことを求むと雖も、亦た得可からず。子、薛居州を善士と謂い、之をして王の所に居らしむ。王の所に在る者、長幼卑尊、皆薛居州ならば、王は誰と與にか不善を為さん。王の所に在る者、長幼卑尊、皆薛居州に非ざれば、王は誰と與にか善を為さん。一薛居州、獨り宋王を如何せん。」 <語釈> ○「咻」、音はキュウ、義はかまびすしくすること。○「莊嶽」、顧炎武云う、莊は是れ街の名、嶽は是れ里の名。
-
『墨子』所染子墨子、染絲する者を見て歎じて言いて曰く、「蒼に染むれば則ち蒼く、黄に染むれば則ち黄なり。入るる所の者變ずれば、其の色も亦た變ず。五たび入れて已に五色と為る。故に染は慎まざる可からざるなり」と。