呻吟語 / 内篇・性命・先天の氣は發洩する處毫釐に過ぎず
先天之氣,發洩處不過毫釐;後天之氣,擴充之必極分量。其實分量極處原是毫釐中有底,若毫釐中合下原無,便是一些增不去。萬物之形色才情,種種可驗也。
新字:先天之気,発洩処不過毫釐;後天之気,擴充之必極分量。其実分量極処原是毫釐中有底,若毫釐中合下原無,便是一些增不去。万物之形色才情,種種可験也。
書き下し
先天の氣は、發洩する處毫釐に過ぎず。後天の氣は、之を擴充すれば必ず分量を極む。其の實、分量の極まる處は、原と是れ毫釐の中に有る底なり。若し毫釐の中に合下原と無くんば、便ち是れ一些も增し去る能はず。萬物の形色才情、種種驗す可きなり。
現代語訳
生まれつきの気が現れ出るのは、ほんのわずかにすぎません。生まれた後の気は、これを押し広げれば必ず量のかぎりまで行きます。しかし実のところ、量のかぎりまで行った先にあるものは、もともとあのわずかな中に含まれていたものです。もしあのわずかの中にはじめから無かったなら、少しも増やすことはできません。万物の形や色や才や情を見れば、どれもこれを確かめられます。
解説
生まれつきと後の努力の関係が示されます。生まれつきは種のようにわずかにしか見えないが、努力はそれを量のかぎりまで押し広げられる。ただし広げた先にあるのは、もともと種の中にあったものだ、と。無いものは増やせないという厳しい一面と、あるものは限界まで伸ばせるという励ましの一面が、同じ一段に同居しています。自分の種を見極めよ、という読み方になります。
この章句が説くこと
先天後天拡充限界素質
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