呻吟語 / 序・萬曆癸巳三月、抱獨居士呂坤書す
萬曆癸巳三月,抱獨居士寧陵呂坤書。
新字:万暦癸巳三月,抱独居士寧陵呂坤書。
書き下し
萬曆癸巳三月、抱獨居士寧陵の呂坤書す。
現代語訳
万暦癸巳の年三月、抱独居士、寧陵の呂坤が記す。
解説
序の署名です。万暦癸巳は一五九三年、呂坤が五十八歳の年にあたります。抱独居士は号で、独りを抱くという意味。世に迎合せず一人で立つという構えが、そのまま号になっています。寧陵は河南の生地。三十年書きためた原稿をこの年に世に出したことが、この一行で確定します。ここから本文の十七篇が始まります。この一行があるので、三十年の蓄積がいつ世に出たかを推測せずに済みます。
この章句が説くこと
署名年紀号独立出版
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『呻吟語』序・子既に之を志せり、盍ぞ以て人に公にせざる三十年來、志す所の『呻吟語』、凡そ若干卷、攜へて以て自ら藥とす。司農大夫の劉景澤、心を攝め性を繕め、平生呻吟する所無し、予甚だ之を愛す。頃ろ鴈門に共事し、各〻苦しむ所を談ず。予『呻吟語』を出して景澤に眎す。景澤曰く、「吾も亦た呻吟する所有れども未だ之を志さざるなり。吾人の病、大都相同じ。子既に之を志せり、盍ぞ以て人に公にせざる。蓋し三益あり。病を醫する者、子の呻吟を見て、將に死せんとする病を起こし、病を同じくする者、子の呻吟を見て、各〻病を醫し、未だ病まざる者、子の呻吟を見て、未然の病を謹まん。是れ子一身を以て懲を天下に示して、壽する所の者衆きなり。既に子瘉えずとも、能く以て人を瘉す、既に多からずや」と。余矍然として曰く、「病語は狂なり、又其の狂を以て人の聞聽を惑はす、可ならんや」と。因りて其の狂にして未だ甚だしからざる者を擇びて之を存す。
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『呻吟語』序・呻吟は病の聲なり呻吟は、病の聲なり。呻吟語は、病める時の語なり。病中の疾痛は、惟だ病者のみ知り、他人と道ひ難く、亦た惟だ病む時にのみ覺え、既に瘉ゆれば、旋ち復た忘るるなり。
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『呻吟語』内篇・修身・軒冕は甚の物事ぞ韋弁布衣は、是れ我が生まれし初めの服なり。愧ぢずんば、此の生儘く以て大造に還す可し。軒冕は是れ甚の物事ぞ。個の丈夫を將て做し壞せり。甚の面目有りてか那の青天白日に對せん。是れ宇宙中の一の腐臭物なり。乃ち眉を揚げ氣を吐き、此を以て人に誇り、而して世人共に之を榮とし慕ふは、亦た大いに異なる事なり。
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『呻吟語』序・予は乃ち九たび臂を折れり予小子、生まれながらにして昏弱にして病を善くす。病む時に呻吟し、輒ち苦しむ所を志して以て自ら恨みて曰く、「疾を慎み、復た病むこと無かれ」と。已にして慎まず、又復た病めば、輒ち又之を志す。蓋し世の病、備さに經たれば、勝げて志す可からず。一病數〻經るも、竟に懲るる能はず。語に曰く、「三たび肱を折りて良醫と成る」と。予は乃ち九たび臂を折れり。㽸痼年年、呻吟猶ほ昨のごとし。嗟嗟、多病なれば完き身無く、久病なれば完き氣無し。予奄奄として視息す、而るに人ならんや。
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『呻吟語』内篇・談道・只だ內と本と有るのみ內外本末交ごも相培養す、此の語は余の未だ喻らざる所なり。只だ內と本と有るのみ。那の外と末とは張主し得ること甚ぞ。