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史記 / 李斯列伝

明矣。高受詔教習胡亥,使學以法事數年矣,未嘗見過失。慈仁篤厚,輕財重士,辯於心而詘於口,盡禮敬士,秦之諸子未有及此者,可以為嗣。君計而定之。」斯曰:「君其反位!斯奉主之詔,聽天之命,何慮之可定也?」高曰:「安可危也,危可安也。安危不定,何以貴聖?」斯曰:「斯,上蔡閭巷布衣也,上幸擢為丞相,封為通侯,子孫皆至尊位重祿者,故將以存亡安危屬臣也。豈可負哉!夫忠臣不避死而庶幾,孝子不勤勞而見危,人臣各守其職而已矣。君其勿復言,將令斯得罪。」高曰:「蓋聞聖人遷徙無常,就變而從時,見末而知本,觀指而睹歸。物固有之,安得常法哉!方今天下之權命懸於胡亥,高能得志焉。且夫從外制中謂之惑,從下制上謂之賊。故秋霜降者草花落,水搖動者萬物作,此必然之效也。君何見之晚?」斯曰:「吾聞晉易太子,三世不安;齊桓兄弟爭位,身死為戮;紂殺親戚,不聽諫者,國為丘墟,遂危社稷:三者逆天,宗廟不血食。斯其猶人哉,安足為謀!」高曰:「上下合同,可以長久;中外若一,事無表裏。君聽臣之計,即長有封侯,世世稱孤,必有喬、松之壽,孔、墨之智。今釋此而不從,禍及子孫,足以為寒心。善者因禍為福,君何處焉?」斯乃仰天而歎,垂淚太息曰:「嗟乎!獨遭亂世,既以不能死,安託命哉!」於是斯乃聽高。高乃報胡亥曰:「臣請奉太子之明命以報丞相,丞相斯敢不奉令!」

新字:明矣。高受詔教習胡亥,使学以法事数年矣,未嘗見過失。慈仁篤厚,軽財重士,弁於心而詘於口,尽礼敬士,秦之諸子未有及此者,可以為嗣。君計而定之。」斯曰:「君其反位!斯奉主之詔,聴天之命,何慮之可定也?」高曰:「安可危也,危可安也。安危不定,何以貴聖?」斯曰:「斯,上蔡閭巷布衣也,上幸擢為丞相,封為通侯,子孫皆至尊位重禄者,故将以存亡安危属臣也。豈可負哉!夫忠臣不避死而庶幾,孝子不勤労而見危,人臣各守其職而已矣。君其勿復言,将令斯得罪。」高曰:「蓋聞聖人遷徙無常,就変而従時,見末而知本,観指而睹帰。物固有之,安得常法哉!方今天下之権命懸於胡亥,高能得志焉。且夫従外制中謂之惑,従下制上謂之賊。故秋霜降者草花落,水揺動者万物作,此必然之効也。君何見之晩?」斯曰:「吾聞晋易太子,三世不安;斉桓兄弟争位,身死為戮;紂殺親戚,不聴諫者,国為丘墟,遂危社稷:三者逆天,宗廟不血食。斯其猶人哉,安足為謀!」高曰:「上下合同,可以長久;中外若一,事無表裏。君聴臣之計,即長有封侯,世世称孤,必有喬、松之寿,孔、墨之智。今釈此而不従,禍及子孫,足以為寒心。善者因禍為福,君何処焉?」斯乃仰天而嘆,垂涙太息曰:「嗟乎!独遭乱世,既以不能死,安託命哉!」於是斯乃聴高。高乃報胡亥曰:「臣請奉太子之明命以報丞相,丞相斯敢不奉令!」

書き下し

明らかなり。高、詔を受けて胡亥に教習し、法事を学ばしむること数年なり。未だ嘗て過失を見ず。慈仁篤厚にして、財を軽んじ士を重んじ、心に弁じて口に詘し、礼を尽くして士を敬す。秦の諸子未だ此に及ぶ者有らず。以て嗣と為すべし。君計りて之を定めよ」と。斯曰く、「君其れ位に反れ。斯は主の詔を奉じ、天の命を聴く。何の慮りか之れ定むべけんや」と。高曰く、「安きも危ふかるべく、危ふきも安かるべし。安危定まらずんば、何を以て聖を貴ばん」と。斯曰く、「斯は上蔡の閭巷の布衣なり。上幸ひに擢きて丞相と為し、封じて通侯と為し、子孫皆尊位重禄に至る者は、故より将に存亡安危を以て臣に属せんとするなり。豈に負くべけんや。夫れ忠臣は死を避けずして庶幾ひ、孝子は勤労せずして危ふきを見る。人臣各々其の職を守るのみ。君其れ復た言ふ勿かれ。将に斯をして罪を得しめんとす」と。高曰く、「蓋し聞く、聖人は遷徙常無く、変に就きて時に従ひ、末を見て本を知り、指を観て帰を睹ると。物固より之有り、安くんぞ常法を得んや。方今天下の権命は胡亥に懸かり、高能く志を得たり。且つ夫れ外より中を制する之を惑と謂ひ、下より上を制する之を賊と謂ふ。故に秋霜降れば草花落ち、水揺動すれば万物作る。此れ必然の効なり。君何ぞ之を見ること晩きや」と。斯曰く、「吾聞く、晋は太子を易へて、三世安からず。斉の桓の兄弟位を争ひ、身死して戮と為る。紂は親戚を殺し、諫むる者に聴かず、国丘墟と為り、遂に社稷を危ふくす。三者は天に逆らひ、宗廟血食せず。斯其れ猶ほ人のごとくならんや。安くんぞ謀を為すに足らん」と。高曰く、「上下合同すれば、以て長久なるべし。中外一の若くならば、事に表裏無し。君臣の計を聴かば、即ち長く封侯有り、世世孤と称し、必ず喬・松の寿、孔・墨の智有らん。今此を釈てて従はずんば、禍子孫に及び、以て寒心と為すに足らん。善き者は禍に因りて福と為す。君何くにか処らん」と。斯乃ち天を仰ぎて歎じ、涙を垂れ太息して曰く、「嗟乎、独り乱世に遭ひ、既に以て死する能はず。安くにか命を託せん」と。是に於て斯乃ち高に聴く。高乃ち胡亥に報じて曰く、「臣請ふ、太子の明命を奉じて以て丞相に報ぜしに、丞相斯敢て令を奉ぜざらんや」と。

現代語訳

明らかだ。私は詔を受けて胡亥の教育係となり、数年にわたって法律の実務を学ばせてきたが、一度も過ちを見たことがない。慈しみ深く誠実で、財を軽んじて士を重んじ、心では物事をわきまえながら口数は少なく、礼を尽くして士を敬っている。秦の公子たちで、これに及ぶ者はいない。跡継ぎとするにふさわしい。あなたがよく考えて決めていただきたい」。李斯は言った。「あなたは自分の持ち場に戻りなさい。私は主君の詔を奉じ、天命に従うだけだ。何を考えて決めることがあろうか」。趙高は言った。「安泰に見えるものも危うくなりうるし、危ういものも安泰になりうる。安危の定まらないときに事を決められないなら、どうして聖人と尊ばれようか」。李斯は言った。「私は上蔡の村里の無位無官の者にすぎない。陛下は幸いにも私を抜擢して丞相とし、通侯に封じ、子孫もみな高い位と厚い禄を得ている。それは陛下が国家の存亡と安危を私に託そうとされたからだ。どうしてそれに背けようか。忠臣は死を避けずに務めを果たそうとし、孝子は労を惜しまずに身を危うくするものだ。臣下はそれぞれ自分の職分を守るだけである。あなたはもう何も言わないでほしい。私を罪に陥れるつもりか」。趙高は言った。「聖人は一つの所にとどまらず、変化に応じて時に従い、末端を見て根本を知り、指す方向を見て行き着く先を悟る、と聞いている。物事にはもともとそういうものがあって、どうして決まった法則があろうか。いま天下の権力と命運は胡亥にかかっており、私はその意を得ている。しかも、外から内を制することを惑といい、下から上を制することを賊という(扶蘇や蒙恬が外から、あなたが臣下の身で逆らうのはそれにあたる)。だから秋の霜が降りれば草花は散り、春に水がぬるめば万物は芽吹く。これは必然の結果である。あなたはどうしてそれに気づくのがこれほど遅いのか」。李斯は言った。「晋は太子を替えて三代にわたって安定せず、斉の桓公の兄弟は位を争って殺され、殷の紂王は親族を殺し、諫める者の言葉を聞かず、国は廃墟となって国家を危うくした、と聞いている。この三つは天に逆らったもので、宗廟の祭祀は絶えた。私も人の心を持つ身だ。どうしてそんな謀に加われようか」。趙高は言った。「上下が心を合わせれば長く続けられ、内と外が一つになれば事に表裏がなくなる。あなたが私の計に従えば、いつまでも侯の位を保ち、代々諸侯として孤と称し、必ずや王子喬や赤松子のような長寿と、孔子や墨子のような知恵を得られるだろう。いまこれを捨てて従わなければ、禍は子孫にまで及び、ぞっとするほどのことになる。賢い者は禍を転じて福とするものだ。あなたはどちらを選ぶのか」。李斯はそこで天を仰いで嘆き、涙を流し深くため息をついて言った。「ああ、私はただ一人乱世に巡り合い、死ぬこともできない。この命をどこに託せばよいのか」。こうして李斯はついに趙高に従った。趙高は胡亥に報告して言った。「私が太子のご命令を奉じて丞相に伝えたところ、丞相の李斯が命令に従わないはずがあろうか(従った)」。

解説

沙丘の謀議が決着する場面です。趙高は胡亥を「慈仁篤厚で、秦の公子で及ぶ者はいない」と持ち上げ、跡継ぎにふさわしいと言います。李斯は「私は詔と天命に従うだけだ」「臣下は職分を守るだけ」と繰り返し拒み、晋や斉、殷の例を挙げて継承を乱した国の末路を示しました。ここまでの李斯は正論を守っています。しかし趙高は「聖人は変化に応じて時に従う」と李斯の柔軟さに訴え、最後に「従えば子孫まで封侯、従わなければ禍は子孫に及ぶ」と利と害を突きつけました。李斯は天を仰いで泣き、「乱世に遭い、死ぬこともできない」と言って屈します。正しさを知りながら、家族と地位を失う恐れに負けたのです。この一瞬の妥協が、扶蘇と蒙恬の死、そして秦の滅亡、李斯自身の刑死へとつながっていきます。守るべき一線を越えるときの言い訳は、いつも「仕方がなかった」です。

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