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史記 / 李斯列伝

所以飾後宮充下陳娛心意說耳目者,必出於秦然後可,則是宛珠之簪,傅璣之珥,阿縞之衣,錦繡之飾不進於前,而隨俗雅化佳冶窈窕趙女不立於側也。夫擊甕叩缶彈箏搏髀,而歌呼嗚嗚快耳者,真秦之聲也;鄭、衛、桑間、昭、虞、武、象者,異國之樂也。今棄擊甕叩缶而就鄭衛,退彈箏而取昭虞,若是者何也?快意當前,適觀而已矣。今取人則不然。不問可否,不論曲直,非秦者去,為客者逐。然則是所重者在乎色樂珠玉,而所輕者在乎人民也。此非所以跨海內制諸侯之術也。

新字:所以飾後宮充下陳娯心意説耳目者,必出於秦然後可,則是宛珠之簪,傅璣之珥,阿縞之衣,錦繍之飾不進於前,而随俗雅化佳冶窈窕趙女不立於側也。夫撃甕叩缶弾箏搏髀,而歌呼嗚嗚快耳者,真秦之声也;鄭、衛、桑間、昭、虞、武、象者,異国之楽也。今棄撃甕叩缶而就鄭衛,退弾箏而取昭虞,若是者何也?快意当前,適観而已矣。今取人則不然。不問可否,不論曲直,非秦者去,為客者逐。然則是所重者在乎色楽珠玉,而所軽者在乎人民也。此非所以跨海内制諸侯之術也。

書き下し

後宮を飾り下陳に充て心意を娯しましめ耳目を説ばしむる所以の者、必ず秦に出でて然る後に可ならば、則ち是れ宛珠の簪、傅璣の珥、阿縞の衣、錦繍の飾りは前に進まず、而して俗に隨ひて雅化せる佳冶窈窕の趙女は側に立たざるなり。夫れ甕を撃ち缶を叩き箏を弾き髀を搏ち、而して歌呼して嗚嗚として耳に快き者は、真の秦の声なり。鄭・衛・桑間・昭・虞・武・象は、異国の楽なり。今甕を撃ち缶を叩くを棄てて鄭衛に就き、箏を弾くを退けて昭虞を取る。是の若き者は何ぞや。意に快く前に当たり、観に適するのみ。今人を取るは則ち然らず。可否を問はず、曲直を論ぜず、秦に非ざる者は去り、客為る者は逐ふ。然らば則ち是れ重んずる所の者は色楽珠玉に在り、而して軽んずる所の者は人民に在るなり。此れ海内に跨り諸侯を制する所以の術に非ざるなり。

現代語訳

後宮を飾り、侍女を満たし、心を楽しませ耳目を喜ばせるものも、必ず秦で産したものでなければならないというなら、宛の珠の簪、玉をちりばめた耳飾り、東阿の白絹の衣、錦や刺繍の飾りは御前に差し出されず、都会風に洗練された艶やかで美しい趙の女たちも、おそばに立つことはない。そもそも甕を打ち、素焼きの壺をたたき、箏をかき鳴らし、股をたたいて拍子をとり、ウーウーと声を張り上げて歌って耳に心地よいのが、本当の秦の音楽である。鄭・衛の歌、桑間の歌、昭(韶)・虞・武・象の楽は、他国の音楽である。いま甕を打ち壺をたたくのをやめて鄭や衛の音楽につき、箏をかき鳴らすのを退けて韶や虞の楽を取っておられる。これはなぜか。目の前で心に快く、見るのに好ましいからにほかならない。ところが人を取るときはそうではない。役に立つかどうかを問わず、正しいか誤っているかを論じず、秦の人でなければ去らせ、他国出身の客であれば追い出す。そうだとすれば、陛下が重んじておられるのは色事や音楽や珠玉であって、軽んじておられるのは人民だということになる。これは天下を支配し諸侯を制するための方法ではない。

解説

「諫逐客書」の中盤です。李斯は前の段に続けて、後宮を飾る装身具や衣服、そばに仕える趙の女性まで、秦の産でないものが身の回りにあふれていると指摘します。さらに音楽を例に取り、甕や壺をたたいて歌う素朴な秦の音楽を捨てて、鄭・衛の歌や韶・虞の雅楽を好んでいるのは、ただ心地よく目に快いからだと言います。物や楽しみについては出どころを問わず良いものを選んでいるのに、人を選ぶときだけは能力も是非も問わずに出身で切り捨てている。それは珠玉を重んじて人を軽んじることであり、天下を制する者のやり方ではない、と結論づけます。身近な趣味の話から国家の人材政策の矛盾へと一気に話を広げる、説得の構成が見事です。私たちも、道具や情報には最良のものを求めながら、人の採用や登用では慣れや出身にとらわれていないか、見直す価値があります。

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