史記 / 魯仲連鄒陽列伝
新垣衍曰:「先生獨不見夫仆乎?十人而從一人者,寧力不勝而智不若邪?畏之也。」魯仲連曰:「嗚呼!梁之比於秦若仆邪?」新垣衍曰:「然。」魯仲連曰:「吾將使秦王烹醢梁王。」新垣衍怏然不悅,曰:「噫嘻,亦太甚矣先生之言也!先生又惡能使秦王烹醢梁王?」魯仲連曰:「固也,吾將言之。昔者九侯、鄂侯、文王,紂之三公也。九侯有子而好,獻之於紂,紂以為惡,醢九侯。鄂侯爭之彊,辯之疾,故脯鄂侯。文王聞之,喟然而嘆,故拘之牖里之庫百日,欲令之死。曷為與人俱稱王,卒就脯醢之地?齊湣王之魯,夷維子為執策而從,謂魯人曰:『子將何以待吾君?』魯人曰:『吾將以十太牢待子之君。』夷維子曰:『子安取禮而來待吾君?彼吾君者,天子也。天子巡狩,諸侯辟舍,納筦籥,攝衽抱机,視膳於堂下,天子已食,乃退而聽朝也。』魯人投其籥,不果納。不得入於魯,將之薛,假途於鄒。當是時,鄒君死,湣王欲入弔,夷維子謂鄒之孤曰:『天子弔,主人必將倍殯棺,設北面於南方,然後天子南面弔也。』鄒之群臣曰:『必若此,吾將伏劍而死。』固不敢入於鄒。鄒、魯之臣,生則不得事養,死則不得賻襚,然且欲行天子之禮於鄒、魯,鄒、魯之臣不果納。今秦萬乘之國也,梁亦萬乘之國也。
新字:新垣衍曰:「先生独不見夫仆乎?十人而従一人者,寧力不勝而智不若邪?畏之也。」魯仲連曰:「嗚呼!梁之比於秦若仆邪?」新垣衍曰:「然。」魯仲連曰:「吾将使秦王烹醢梁王。」新垣衍怏然不悦,曰:「噫嘻,亦太甚矣先生之言也!先生又悪能使秦王烹醢梁王?」魯仲連曰:「固也,吾将言之。昔者九侯、鄂侯、文王,紂之三公也。九侯有子而好,献之於紂,紂以為悪,醢九侯。鄂侯争之彊,弁之疾,故脯鄂侯。文王聞之,喟然而嘆,故拘之牖里之庫百日,欲令之死。曷為与人倶称王,卒就脯醢之地?斉湣王之魯,夷維子為執策而従,謂魯人曰:『子将何以待吾君?』魯人曰:『吾将以十太牢待子之君。』夷維子曰:『子安取礼而来待吾君?彼吾君者,天子也。天子巡狩,諸侯辟舎,納筦籥,摂衽抱机,視膳於堂下,天子已食,乃退而聴朝也。』魯人投其籥,不果納。不得入於魯,将之薛,仮途於鄒。当是時,鄒君死,湣王欲入弔,夷維子謂鄒之孤曰:『天子弔,主人必将倍殯棺,設北面於南方,然後天子南面弔也。』鄒之群臣曰:『必若此,吾将伏剣而死。』固不敢入於鄒。鄒、魯之臣,生則不得事養,死則不得賻襚,然且欲行天子之礼於鄒、魯,鄒、魯之臣不果納。今秦万乗之国也,梁亦万乗之国也。
書き下し
新垣衍曰く、「先生独り夫の僕を見ずや。十人にして一人に従ふ者は、寧ろ力勝たずして智若かざるか。之を畏るればなり」と。魯仲連曰く、「嗚呼、梁の秦に比するは僕の若きか」と。新垣衍曰く、「然り」と。魯仲連曰く、「吾将に秦王をして梁王を烹醢せしめんとす」と。新垣衍怏然として悦ばずして曰く、「噫嘻、亦太だ甚だしきかな先生の言や。先生又悪くんぞ能く秦王をして梁王を烹醢せしめん」と。魯仲連曰く、「固より也、吾将に之を言はんとす。昔者、九侯・鄂侯・文王は、紂の三公なり。九侯に子有りて好し。之を紂に献ず。紂以て悪しと為し、九侯を醢にす。鄂侯之を争ふこと彊く、之を弁ずること疾し。故に鄂侯を脯にす。文王之を聞き、喟然として嘆ず。故に之を牖里の庫に拘ふること百日、之をして死なしめんと欲す。曷為れぞ人と倶に王と称し、卒に脯醢の地に就かん。斉の湣王の魯に之くや、夷維子、為に策を執りて従ひ、魯人に謂ひて曰く、『子将に何を以て吾が君を待たんとする』と。魯人曰く、『吾将に十太牢を以て子の君を待たんとす』と。夷維子曰く、『子安くにか礼を取りて吾が君を待たんとする。彼の吾が君は天子なり。天子巡狩すれば、諸侯は舎を辟け、筦籥を納め、衽を摂め机を抱き、膳を堂下に視、天子已に食すれば、乃ち退きて朝を聴くなり』と。魯人其の籥を投じ、果して納れず。魯に入るを得ず、将に薛に之かんとし、途を鄒に仮る。是の時に当り、鄒君死す。湣王入りて弔はんと欲す。夷維子、鄒の孤に謂ひて曰く、『天子弔すれば、主人必ず将に殯棺を倍にし、北面を南方に設け、然る後に天子南面して弔すべきなり』と。鄒の群臣曰く、『必ず此の若くならば、吾将に剣に伏して死なんとす』と。固より敢て鄒に入れず。鄒・魯の臣、生きては則ち事養するを得ず、死しては則ち賻襚するを得ず。然れども且つ天子の礼を鄒・魯に行はんと欲すれば、鄒・魯の臣果して納れず。今、秦は万乗の国なり。梁も亦万乗の国なり。
現代語訳
新垣衍は言った。「先生はあの召使いというものをご覧にならないのですか。十人の召使いが一人の主人に従うのは、力で勝てず知恵で及ばないからでしょうか。主人を恐れているからです」。魯仲連が「ああ、梁と秦との関係は召使いと主人のようなものですか」と言うと、新垣衍は「そうです」と答えた。魯仲連は言った。「では私は、秦王に梁王を煮殺させ、塩漬けにさせてご覧に入れましょう」。新垣衍はむっとして不機嫌になり、「ああ、先生のお言葉はあまりにもひどい。先生はどうして秦王に梁王を煮殺させ、塩漬けにさせることができるのですか」と言った。魯仲連は言った。「もちろんだ。今からそれを申しましょう。むかし九侯・鄂侯・文王は、殷の紂王の三公でした。九侯には美しい娘がいて、紂王に献上しましたが、紂王は気に入らず、九侯を塩漬けの刑にしました。鄂侯が強く抗議し、激しく弁じ立てたので、鄂侯を干し肉にしました。文王はこれを聞いてため息をついて嘆いたので、紂王は文王を牖里の倉に百日間閉じこめ、死なせようとしました。王と呼ばれる身が人並みに並んでいながら、どうして最後は干し肉や塩漬けにされる立場に身を置くのでしょうか。斉の湣王が魯へ行ったとき、夷維子が鞭を執って供をし、魯の人に言いました。『あなたがたは我が君をどうもてなすつもりか』。魯の人は『十太牢(牛・羊・豚それぞれ十頭のもてなし)で、あなたの君をもてなしましょう』と答えました。夷維子は言いました。『あなたがたはどんな礼にもとづいて我が君をもてなそうというのか。我が君は天子であらせられる。天子が巡狩されれば、諸侯は宮殿を明け渡し、鍵を差し出し、裾をからげて机を抱え、堂の下で食膳を見守り、天子が食事を終えられてから、ようやく退いて政務を執るものだ』。魯の人は鍵を投げ捨てて門を閉ざし、ついに湣王を受け入れませんでした。湣王は魯に入ることができず、薛へ向かおうとして、鄒の国を通らせてもらおうとしました。ちょうどそのとき鄒の君主が亡くなっていたので、湣王は中に入って弔問しようとしました。夷維子は鄒の喪主に言いました。『天子が弔問されるときは、喪主は必ず棺の位置を反対に移し、北向きの席を南側にしつらえ、そのうえで天子が南を向いて弔われるのだ』。鄒の家臣たちは『どうしてもそうせよと言うなら、我々は剣に伏して死ぬ』と言い、決して鄒に入れませんでした。鄒や魯の臣下は、生きている君主を十分に養うこともできず、死んだ君主に十分な弔いの品を贈ることもできないほど貧しい。それでも天子の礼を鄒や魯で押し通そうとすれば、鄒や魯の臣下は受け入れなかったのだ。今、秦は万乗の大国であり、梁もまた万乗の大国だ。
解説
関連する章句
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『長短経』七雄略衍曰く「先生、独り夫の僕を見ずや。十人にして一人に従う者は、寧んぞ力足らずして智の若かざらんや。之を畏るればなり」と。魯連曰く「嗚呼、梁の秦に比するは、僕の若きか」と。衍曰く「然り」と。魯連曰く「吾、将に秦王をして梁王を烹醢せしめん」と。衍、愕然として曰く「亦た甚だしきかな、先生の言や。先生、又た悪くんぞ能く秦王をして梁王を烹醢せしめん」と。連曰く「固よりなり。吾が将に之を言わんとするを待て。昔者、九侯・鄂侯・文王は、紂の三公なり。九侯に子有りて好し。故に之を紂に献ず。紂、以て醜と為し、九侯を醢にす。鄂侯、之を争うこと強く、之を弁ずること疾し。故に鄂侯を脯にす。文王、之を聞き、喟然として歎ず。故に之を牖里の庫に拘し、百日之を死せしめんと欲す。曷為れぞ人と俱に王と称して、卒に脯醢の地に就くか」と。
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史記 魯仲連鄒陽列伝彼の秦は、礼義を棄てて首功を上ぶの国なり。権もて其の士を使ひ、虜もて其の民を使ふ。彼即し肆然として帝と為り、過ちて天下に政を為さば、則ち連は東海を蹈みて死する有るのみ。吾之が民と為るに忍びざるなり。将軍に見ゆる所為の者は、以て趙を助けんと欲すればなり」と。新垣衍曰く、「先生之を助くること将に柰何せん」と。魯連曰く、「吾将に梁及び燕をして之を助けしめんとす。斉・楚は則ち固より之を助く」と。新垣衍曰く、「燕は則ち吾請ふ以て従はん。若し乃ち梁は、則ち吾乃ち梁人なり。先生悪くんぞ能く梁をして之を助けしめん」と。魯連曰く、「梁は未だ秦の帝と称するの害を睹ざるが故のみ。梁をして秦の帝と称するの害を睹しめば、則ち必ず趙を助けん」と。新垣衍曰く、「秦の帝と称するの害は何如」と。魯連曰く、「昔者斉の威王嘗て仁義を為せり。天下の諸侯を率ゐて周に朝す。周貧しく且つ微にして、諸侯朝する莫し。而るに斉独り之に朝す。居ること歳余、周の烈王崩ず。斉後れて往く。周怒り、斉に赴げて曰く、『天崩れ地坼け、天子席を下る。東藩の臣因斉後れて至る。則ち斮らん』と。斉の威王勃然として怒りて曰く、『叱嗟、而が母は婢なり』と。卒に天下の笑と為る。故に生きては則ち周に朝し、死しては則ち之を叱す。誠に其の求めに忍びざればなり。彼の天子は固より然り。其れ怪しむに足る無し」と。
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『長短経』七雄略衍曰く「先生、之を助くるに、将た奈何せん」と。魯連曰く「吾、将に梁及び燕をして之を助けしめん。斉・楚は則ち固より之を助くるなり」と。衍曰く「燕は則ち為に請いて以て従わん。梁の若き者は、即ち吾は乃ち梁人なり。先生、悪くんぞ能く梁をして之を助けしめん」と。魯連曰く「梁は未だ秦の帝と称するの害を覩ざるが故のみ。梁をして秦の帝と称するの害を覩しめば、則ち必ず趙を助けん」と。衍曰く「秦の帝と称するの害、何ぞ」と。連曰く「昔者、斉の威王、嘗て仁義を為す。天下の諸侯を率いて周に朝す。周は貧にして且つ微なり。諸侯、朝する莫くして、斉のみ独り之に朝す。居ること歳余、周の烈王崩ず。斉、後れて往く。周怒り、斉に赴きて曰く『天崩れ地坼け、天子は席を下る。東蕃の臣田嬰、後れて至らば、則ち斮らん』と。斉の威王、勃然として怒りて曰く『叱嗟、而の母は婢なり』と。卒に天下の笑いと為る。故に生けば則ち周に朝し、死すれば則ち之を叱す。誠に其の求めに忍びざればなり。彼の天子は固より然り。其れ怪しむに足る無し」と。
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