史記 / 魏公子列伝
如姬之欲為公子死,無所辭,顧未有路耳。公子誠一開口請如姬,如姬必許諾,則得虎符奪晉鄙軍,北救趙而西卻秦,此五霸之伐也。」公子從其計,請如姬。如姬果盜晉鄙兵符與公子。
新字:如姫之欲為公子死,無所辞,顧未有路耳。公子誠一開口請如姫,如姫必許諾,則得虎符奪晋鄙軍,北救趙而西却秦,此五覇之伐也。」公子従其計,請如姫。如姫果盗晋鄙兵符与公子。
書き下し
如姫の公子の為に死せんと欲すること、辞する所無し、顧だ未だ路有らざるのみ。公子誠に一たび口を開きて如姫に請はば、如姫必ず許諾せん、則ち虎符を得て晋鄙の軍を奪ひ、北のかた趙を救ひて西のかた秦を卻けん、此れ五霸の伐なり」と。公子その計に従ひ、如姫に請ふ。如姫果たして晋鄙の兵符を盗みて公子に与ふ。
現代語訳
「如姫は公子のためなら死ぬことも辞さないと思っているが、ただその機会がないだけなのだ。公子が本当に一言口を開いて如姫に頼めば、如姫は必ず承知するだろう。そうすれば虎符(虎の形の割符)を手に入れて晋鄙の軍を奪い、北は趙を救い、西は秦を退けることができる。これは春秋の五覇にも匹敵する功業だ。」公子はその計略に従って、如姫に頼んだ。如姫ははたして晋鄙の兵符を盗み出して公子に渡した。
解説
侯嬴の策の結びと、如姫が兵符を盗み出すまでを記した段です。侯嬴は「如姫は公子のためなら死んでもよいと思っているが、恩を返す機会がないだけだ」と言い、一言頼めば必ず引き受けると断言しました。そして兵符で晋鄙の軍を奪えば、北は趙を救い、西は秦を退けるという、春秋の五覇にも並ぶ功績になると励まします。信陵君がその通りに頼むと、如姫は本当に王の寝室から兵符を盗み出して渡しました。以前、信陵君が如姫の父の仇を討ってやったことが、見返りを求めない恩として積み重なっていたからこそ、この危険な頼みが通ったのです。恩を受けた人は、返す機会を待っていることが多いという侯嬴の洞察は、今の人間関係にも通じます。ふだん人に尽くしておくことが、思いもよらない場面で道を開くことがあるという点で、前の段の朱亥の話とも響き合っています。
関連する章句
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史記 魏公子列伝軍を留めて鄴に壁し、名は趙を救ふと為し、実は両端を持して以て観望す。平原君の使者の冠蓋魏に相属し、魏の公子を譲めて曰く、「勝の自ら附きて婚姻を為す所以の者は、公子の高義を以て、能く人の困しみに急にすと為せばなり。今、邯鄲旦暮に秦に降らんとして魏の救ひ至らず、安くにか公子の能く人の困しみに急にするに在らん。且つ公子縦ひ勝を軽んじ、これを棄てて秦に降らしむとも、独り公子の姊を憐れまざるか」と。公子これを患へ、数々魏王に請ひ、及び賓客辯士の王に説くこと万端なり。魏王秦を畏れ、終に公子に聴かず。公子自ら度るに終にこれを王に得る能はず、計るに独り生きて趙をして亡ばしめず、乃ち賓客に請ひ、車騎百余乗を約し、客を以て往きて秦の軍に赴き、趙と倶に死せんと欲す。行きて夷門を過ぎ、侯生に見え、具に秦の軍に死せんと欲する所以の状を告ぐ。辞決して行く、侯生曰く、「公子これを勉めよ、老臣は従ふ能はず」と。公子行くこと数里、心快からず、曰く、「吾の侯生を待する所以の者は備はれり、天下聞かざる莫し。今、吾且に死せんとして侯生曾ち一言半辞の我を送る無し、我豈に失ふ所有らんや」と。また車を引きて還り、侯生に問ふ。侯生笑ひて曰く、「臣固より公子の還るを知るなり」と。曰く、「公子士を喜み、名天下に聞こゆ。今難有り、他の端無くして秦の軍に赴かんと欲す、譬へば肉を以て餒虎に投ずるが若し、何の功かこれ有らん。尚ほ安んぞ客を事とせん。然れども公子臣を遇すること厚し、公子往きて臣送らず、是を以て公子これを恨みて復た返るを知るなり」と。公子再拝し、因りて問ふ。侯生乃ち人を屏けて閒語して曰く、「嬴聞く、晋鄙の兵符は常に王の臥内に在り、而して如姫最も幸せられ、王の臥内に出入す、力能くこれを竊まん。嬴聞く、如姫の父は人の殺す所と為り、如姫これを資すること三年、王より以下その父の仇に報ゆることを求めんと欲するも、能く得る莫し。如姫、公子の為に泣く、公子、客をしてその仇の頭を斬らしめ、敬んで如姫に進む。
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史記 魏公子列伝魏王、公子のその兵符を盗み、矯めて晋鄙を殺せしを怒る、公子もまた自ら知るなり。已に秦を卻けて趙を存し、将をしてその軍を将ゐて魏に帰らしめ、而して公子は独り客と趙に留まる。趙の孝成王、公子の晋鄙の兵を矯め奪ひて趙を存せしを徳とし、乃ち平原君と計り、五城を以て公子を封ぜんとす。公子これを聞き、意驕矜して自ら功とするの色有り。客に公子に説く有りて曰く、「物に忘るべからざる有り、或いは忘れざるべからざる有り。夫れ人の公子に徳有るは、公子忘るべからざるなり。公子の人に徳有るは、願はくは公子これを忘れよ。且つ魏王の令を矯め、晋鄙の兵を奪ひて以て趙を救ふは、趙に於いては則ち功有り、魏に於いては則ち未だ忠臣たらざるなり。公子乃ち自ら驕りてこれを功とす、竊かに公子の為に取らざるなり」と。是に於いて公子立ちどころに自ら責め、容るる所無きが若きに似たり。趙王、埽除して自ら迎へ、主人の礼を執り、公子を引きて西階に就かしむ。公子側行して辞譲し、東階より上る。自ら罪過を言ひ、以て魏に負き、趙に功無しとす。趙王侍酒して暮れに至るも、口に五城を献ずるに忍びず、公子の退譲するを以てなり。公子竟に趙に留まる。趙王、鄗を以て公子の湯沐の邑と為し、魏もまた信陵を以て復た公子に奉ず。公子趙に留まる。公子聞く、趙に処士毛公の博徒に蔵れ、薛公の売漿の家に蔵るる有りと。公子両人に見えんと欲す、両人自ら匿れて公子に見ゆるを肯んぜず。公子所在を聞き、乃ち閒歩して往きて此の両人に従ひて遊び、甚だ歓ぶ。平原君これを聞き、その夫人に謂ひて曰く、「始め吾、夫人の弟公子は天下に双び無しと聞く。今吾これを聞くに、乃ち妄りに博徒・売漿者に従ひて游ぶ、公子は妄人なるのみ」と。夫人以て公子に告ぐ。公子乃ち夫人に謝して去らんとして曰く、「始め吾、平原君の賢なるを聞く、故に魏王に負きて趙を救ひ、以て平原君に称ふ。平原君の遊ぶや、徒だ豪挙のみ、士を求めざるなり。
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史記 魏公子列伝公子行く、侯生曰く、「将は外に在りては、主の令も受けざる所有り、以て国家に便ならしむ。公子即ち符を合はするも、晋鄙公子に兵を授けずしてまたこれを請はば、事必ず危ふし。臣の客の屠者朱亥、与に倶にすべし、此の人は力士なり。晋鄙聴かば、大いに善し。聴かずんば、これを撃たしむべし」と。是に於いて公子泣く。侯生曰く、「公子死を畏るるか、何ぞ泣くや」と。公子曰く、「晋鄙は嚄唶の宿将なり、往くも恐らくは聴かず、必ず当にこれを殺すべし、是を以て泣くのみ。豈に死を畏れんや」と。是に於いて公子朱亥に請ふ。朱亥笑ひて曰く、「臣は乃ち市井に刀を鼓する屠者なり、而るに公子親ら数々これを存す。報謝せざる所以の者は、以為へらく小礼は用ふる所無しと。今公子急有り、此れ乃ち臣の命を效すの秋なり」と。遂に公子と倶にす。公子過りて侯生に謝す。侯生曰く、「臣宜しく従ふべきも、老いて能はず。請ふ公子の行く日を数へ、以て晋鄙の軍に至るの日、北郷して自剄し、以て公子を送らん」と。公子遂に行く。鄴に至り、魏王の令を矯めて晋鄙に代はらんとす。晋鄙符を合はせ、これを疑ひ、手を挙げて公子を視て曰く、「今、吾十万の衆を擁し、境上に屯す、国の重任なり。今単車にて来たりてこれに代はる、何如ぞや」と。聴くこと無からんと欲す。朱亥、四十斤の鉄椎を袖にし、晋鄙を椎殺す。公子遂に晋鄙の軍に将たり。兵を勒して令を軍中に下して曰く、「父子倶に軍中に在らば、父は帰れ。兄弟倶に軍中に在らば、兄は帰れ。独子にして兄弟無きは、帰りて養へ」と。選兵八万人を得、兵を進めて秦の軍を撃つ。秦の軍解きて去り、遂に邯鄲を救ひ、趙を存す。趙王及び平原君自ら公子を界に迎へ、平原君は籣矢を負ひて公子の為に先引す。趙王再拝して曰く、「古より賢人未だ公子に及ぶ者有らざるなり」と。此の時に当たりて、平原君敢へて自ら人に比せず。公子、侯生と決す、軍に至る、侯生果たして北郷して自剄す。
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史記 魏公子列伝侯生、公子に謂ひて曰く、「臣の過りし所の屠者朱亥は、此の子賢者なり、世能く知る莫し、故に屠閒に隠るるのみ」と。公子往きて数々これを請ふも、朱亥故らに復た謝せず、公子これを怪しむ。魏の安釐王の二十年、秦の昭王已に趙の長平の軍を破り、また兵を進めて邯鄲を囲む。公子の姊は趙の恵文王の弟平原君の夫人為り、数々魏王及び公子に書を遺り、救ひを魏に請ふ。魏王、将軍晋鄙をして十万の衆を将ゐて趙を救はしむ。秦王、使者をして魏王に告げしめて曰く、「吾趙を攻む、旦暮に且に下らんとす、而して諸侯の敢へて救ふ者は、已に趙を抜かば、必ず兵を移して先づこれを撃たん」と。魏王恐れ、人をして晋鄙を止めしめ、
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史記 魏公子列伝公子、五国の兵を率ゐて秦の軍を河外に破り、蒙驁を走らす。遂に勝ちに乗じて秦の軍を逐ひて函谷関に至り、秦の兵を抑へ、秦の兵敢へて出でず。是の時に当たりて、公子の威天下に振ひ、諸侯の客兵法を進む、公子皆これに名づく、故に世俗魏公子兵法と称す。秦王これを患へ、乃ち金万斤を魏に行ひ、晋鄙の客を求め、公子を魏王に毀らしめて曰く、「公子亡げて外に在ること十年なり、今魏の将と為り、諸侯の将皆属す。諸侯は徒だ魏の公子を聞きて、魏王を聞かず。公子もまた此の時に因りて南面を定めて王たらんと欲す、諸侯は公子の威を畏れ、方に共にこれを立てんと欲す」と。秦数々反間を使ひ、偽りて公子の立ちて魏王と為るを得たるや未だしやを賀す。魏王日にその毀りを聞き、信ぜざる能はず、後果たして人をして公子に代はりて将たらしむ。公子自ら再び毀りを以て廃せらるるを知り、乃ち病と謝して朝せず、賓客と長夜の飲を為し、醇酒を飲み、多く婦女に近づく。日夜楽飲を為すこと四歳、竟に酒に病みて卒す。
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史記 魏公子列伝魏王、公子に見え、相与に泣き、而して上将軍の印を以て公子に授け、公子遂に将たり。魏の安釐王の三十年、公子、使ひをして遍く諸侯に告げしむ。諸侯、公子の将たるを聞き、各々将を遣りて兵を将ゐて魏を救はしむ。
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