史記 / 魏公子列伝
公子率五國之兵破秦軍於河外、遂乘勝逐秦軍至函谷關、秦兵不敢出。當是時、公子威振天下。秦王患之、乃行金萬斤於魏、求晉鄙客、令毀公子於魏王曰、公子亡在外十年矣、今為魏將、諸侯將皆屬、諸侯徒聞魏公子、不聞魏王。公子亦欲因此時定南面而王。魏王日聞其毀、不能不信、後果使人代公子將。公子自知再以毀廢、乃謝病不朝、與賓客為長夜飲、飲醇酒、多近婦女。日夜為樂飲者四歲、竟病酒而卒。
新字:公子率五国之兵破秦軍於河外、遂乗勝逐秦軍至函谷関、秦兵不敢出。当是時、公子威振天下。秦王患之、乃行金万斤於魏、求晉鄙客、令毀公子於魏王曰、公子亡在外十年矣、今為魏将、諸侯将皆属、諸侯徒聞魏公子、不聞魏王。公子亦欲因此時定南面而王。魏王日聞其毀、不能不信、後果使人代公子将。公子自知再以毀廃、乃謝病不朝、与賓客為長夜飲、飲醇酒、多近婦女。日夜為楽飲者四歲、竟病酒而卒。
書き下し
公子五国の兵を率ゐて秦軍を河外に破り、遂に勝ちに乗じて秦軍を逐ひて函谷関に至り、秦兵敢て出でず。是の時に当り、公子威天下に振ふ。秦王之を患ひ、乃ち金万斤を魏に行り、晉鄙の客を求め、公子を魏王に毀りて曰はしむ、「公子外に亡在すること十年、今魏の将と為り、諸侯の将皆属す、諸侯徒だ魏公子を聞きて、魏王を聞かず。公子亦た此の時に因りて南面して王たるを定めんと欲す」と。魏王日々其の毀りを聞き、信ぜざる能はず、後果たして人をして公子に代はりて将たらしむ。公子再び毀を以て廃せらるるを自ら知り、乃ち病と謝して朝せず、賓客と長夜の飲を為し、醇酒を飲み、多く婦女に近づく。日夜楽飲を為す者四歳、竟に酒に病みて卒す。
現代語訳
「大きすぎる功績が主君の猜疑を招き、讒言で失脚する」——功臣の宿命的な悲劇と、その後の自暴自棄を描いた、信陵君の最期の一段です。祖国に戻った信陵君は、五カ国の連合軍を率いて秦軍を大破し、函谷関まで追い詰めて、その威名を天下に轟かせました。まさに絶頂です。しかし、この輝かしい成功こそが、彼の破滅を招きます。信陵君を脅威と見た秦王は、大金(万斤)を使って魏に工作し、こう讒言させました。「信陵君は諸侯に絶大な人望があり、諸侯は『魏の信陵君』は知っていても『魏王』は眼中にない。信陵君はこの機に乗じて自ら王になろうとしている」と。魏王は、この中傷を毎日のように聞かされるうちに信じ込み、ついに信陵君から兵権を取り上げ、別の者を将軍に代えてしまいます。功績によって、かえって主君に疑われ、退けられたのです。二度目の失脚(かつて兵符を盗んだ件も含め)を悟った信陵君は、以後、病と称して政務に出ず、食客たちと連日連夜の酒宴にふけり、美酒と女色に溺れました。そして四年間、そうした自堕落な日々を送った末、酒毒に冒されて死んだのです。ここに、二つの痛切な教訓があります。第一に、大きすぎる功績と人望は、それ自体が主君の猜疑を招く危険をはらむということ。特に、部下の人望が主君(トップ)を上回って見えるとき、その部下は「王位を狙っている」と疑われ、讒言の格好の標的になる。功臣ほど、自分の成功が上を脅かして見えないよう、身の処し方に注意が要る。第二に、不遇や失望に対する向き合い方です。信陵君は、讒言で退けられた失望から、自暴自棄になって酒色に溺れ、自らを滅ぼしました。理不尽な仕打ちを受けたとき、それに対してどう身を処すか——腐って自滅するのか、別の道に活路を見出すのか(前の虞卿は著述に転じた)——が、その人の晩年を分ける。あれほどの英傑・信陵君でさえ、失意の中で自暴自棄に沈み、志半ばで命を落とした。功績の光と、その裏に潜む猜疑・讒言の影、そして挫折への向き合い方の難しさを、この結末は重く物語ります。