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史記 / 蕭相国世家

召平者,故秦東陵侯。秦破,為布衣,貧,種瓜於長安城東,瓜美,故世俗謂之「東陵瓜」,從召平以為名也。召平謂相國曰:「禍自此始矣。上暴露於外而君守於中,非被矢石之事而益君封置衛者,以今者淮陰侯新反於中,疑君心矣。夫置衛衛君,非以寵君也。原君讓封勿受,悉以家私財佐軍,則上心說。」相國從其計,高帝乃大喜。漢十二年秋,黥布反,上自將擊之,數使使問相國何為。相國為上在軍,乃拊循勉力百姓,悉以所有佐軍,如陳豨時。

新字:召平者,故秦東陵侯。秦破,為布衣,貧,種瓜於長安城東,瓜美,故世俗謂之「東陵瓜」,従召平以為名也。召平謂相国曰:「禍自此始矣。上暴露於外而君守於中,非被矢石之事而益君封置衛者,以今者淮陰侯新反於中,疑君心矣。夫置衛衛君,非以寵君也。原君譲封勿受,悉以家私財佐軍,則上心説。」相国従其計,高帝乃大喜。漢十二年秋,黥布反,上自将撃之,数使使問相国何為。相国為上在軍,乃拊循勉力百姓,悉以所有佐軍,如陳豨時。

書き下し

召平は、故の秦の東陵侯なり。秦破れ、布衣と為り、貧しく、瓜を長安城の東に種う、瓜美し、故に世俗之を「東陵瓜」と謂ふ、召平に従ひて以て名と為すなり。召平相国に謂ひて曰く、「禍此より始まらん。上外に暴露し、而して君中を守る、矢石の事を被るに非ずして君の封を益し衛を置く者は、今者淮陰侯新たに中に反くを以て、君の心を疑ふなり。夫れ衛を置きて君を衛るは、以て君を寵するに非ざるなり。願はくは君封を譲りて受くること勿く、悉く家の私財を以て軍を佐けよ、則ち上の心説ばん」と。相国其の計に従ふ、高帝乃ち大いに喜ぶ。漢十二年秋、黥布反く、上自ら将ゐて之を撃つ、数々使をして相国の何を為すかを問はしむ。相国上の軍に在るが為に、乃ち百姓を拊循勉力し、悉く有する所を以て軍を佐くること、陳豨の時の如し。

現代語訳

召平はもとの秦の東陵侯である。秦が滅びると庶民となり、貧しかったので長安城の東で瓜を作っていた。その瓜がおいしかったので、世間では「東陵瓜」と呼んだ。召平の爵位にちなんで名づけたのである。召平は相国に言った。「禍はここから始まる。主上は外で野ざらしになって戦い、あなたは都を守っている。矢や石の飛び交う危険に身をさらしたわけでもないのに、あなたの領地を増やし護衛を置いたのは、淮陰侯が最近都で反乱を企てたので、あなたの心を疑っているからだ。そもそも護衛を置いてあなたを守らせるのは、あなたを寵愛するためではない。どうか加増を辞退して受けず、家の私財をすべて軍の費用として差し出されたい。そうすれば主上は喜ばれるだろう」。相国がその策に従うと、高帝は大いに喜んだ。漢十二年の秋、黥布が反乱を起こし、高祖は自ら兵を率いて討伐に向かったが、たびたび使者を遣わして相国が何をしているかを尋ねさせた。相国は主上が軍中にいるので、民をいたわり励まして働かせ、自分の持つものをすべて差し出して軍を助けること、陳豨の反乱のときと同じようにした。

解説

秦の貴族から瓜売りに転じた召平が、蕭何に「禍はここから始まる」と警告する場面です。前線で戦う劉邦が、戦ってもいない蕭何に加増し護衛までつけたのは、韓信の反乱の直後だけに、蕭何を疑って監視するためだ。護衛は寵愛ではなく見張りなのだ、と召平は見抜きました。そして加増を辞退し、私財をすべて軍費に差し出すよう勧め、蕭何が従うと劉邦は大いに喜びます。黥布の反乱のときも劉邦はたびたび「相国は何をしている」と使者に探らせ、蕭何は同じく民を励まし私財を差し出して応えました。功績が大きく、本拠地を握るナンバー2ほど、トップの猜疑の対象になります。報酬を受け取ることより、疑念を先回りして解くことが身を守る。組織の要職にある人の処世術として、極めて実践的な教えです。

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