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史記 / 平準書

其明年,山東被水菑,民多饑乏,於是天子遣使者虛郡國倉廥以振貧民。猶不足,又募豪富人相貸假。尚不能相救,乃徙貧民於關以西,及充朔方以南新秦中,七十餘萬口,衣食皆仰給縣官。數歲,假予產業,使者分部護之,冠蓋相望。其費以億計,不可勝數。於是縣官大空。而富商大賈或蹛財役貧,轉轂百數,廢居居邑,封君皆低首仰給。冶鑄煮鹽,財或累萬金,而不佐國家之急,黎民重困。於是天子與公卿議,更錢造幣以贍用,而摧浮淫并兼之徒。是時禁苑有白鹿而少府多銀錫。自孝文更造四銖錢,至是歲四十餘年,從建元以來,用少,縣官往往即多銅山而鑄錢,民亦閒盜鑄錢,不可勝數。錢益多而輕,物益少而貴。有司言曰:「古者皮幣,諸侯以聘享。金有三等,黃金為上,白金為中,赤金為下。今半兩錢法重四銖,而姦或盜摩錢裏取鋊,錢益輕薄而物貴,則遠方用幣煩費不省。」乃以白鹿皮方尺,緣以藻繢,為皮幣,直四十萬。王侯宗室朝覲聘享,必以皮幣薦璧,然後得行。又造銀錫為白金。

新字:其明年,山東被水菑,民多饑乏,於是天子遣使者虚郡国倉廥以振貧民。猶不足,又募豪富人相貸仮。尚不能相救,乃徙貧民於関以西,及充朔方以南新秦中,七十余万口,衣食皆仰給県官。数歳,仮予産業,使者分部護之,冠蓋相望。其費以億計,不可勝数。於是県官大空。而富商大賈或蹛財役貧,転轂百数,廃居居邑,封君皆低首仰給。冶鋳煮塩,財或累万金,而不佐国家之急,黎民重困。於是天子与公卿議,更銭造幣以贍用,而摧浮淫并兼之徒。是時禁苑有白鹿而少府多銀錫。自孝文更造四銖銭,至是歳四十余年,従建元以来,用少,県官往往即多銅山而鋳銭,民亦閒盗鋳銭,不可勝数。銭益多而軽,物益少而貴。有司言曰:「古者皮幣,諸侯以聘享。金有三等,黄金為上,白金為中,赤金為下。今半両銭法重四銖,而姦或盗摩銭裏取鋊,銭益軽薄而物貴,則遠方用幣煩費不省。」乃以白鹿皮方尺,縁以藻繢,為皮幣,直四十万。王侯宗室朝覲聘享,必以皮幣薦璧,然後得行。又造銀錫為白金。

書き下し

其の明年、山東水菑を被り、民多く饑乏す。是に於て天子、使者を遣はして郡国の倉廥を虚しくして以て貧民を振はしむ。猶ほ足らず、又豪富の人を募りて相貸仮せしむ。尚ほ相救ふ能はず、乃ち貧民を関以西に徙し、及び朔方以南の新秦中に充つること、七十余万口、衣食皆県官に仰ぎ給す。数歳、産業を仮予し、使者部を分ちて之を護り、冠蓋相望む。其の費は億を以て計へ、勝げて数ふ可からず。是に於て県官大いに空し。而して富商大賈、或いは財を蹛へて貧を役し、転轂百を以て数へ、廃居して邑に居り、封君も皆首を低れて仰ぎ給す。冶鋳・煮塩し、財或いは万金を累ぬるも、国家の急を佐けず、黎民重ねて困しむ。是に於て天子、公卿と議し、銭を更め幣を造りて以て用を贍し、而して浮淫・并兼の徒を摧かんとす。是の時、禁苑に白鹿有り、而して少府に銀錫多し。孝文の四銖銭を更造せしより、是の歳に至るまで四十余年、建元より以来、用少なく、県官往往にして多銅の山に即きて銭を鋳、民も亦間々盗みて銭を鋳ること、勝げて数ふ可からず。銭益々多くして軽く、物益々少なくして貴し。有司言ひて曰く、「古は皮幣、諸侯以て聘享す。金に三等有り、黄金を上と為し、白金を中と為し、赤金を下と為す。今、半両銭は法として四銖を重しとす。而るに姦或いは盗みて銭の裏を摩して鋊を取り、銭益々軽薄にして物貴く、則ち遠方の幣を用ふること煩費にして省かず」と。乃ち白鹿の皮の方尺なるを以て、縁どるに藻繢を以てし、皮幣と為し、直四十万。王侯・宗室の朝覲・聘享には、必ず皮幣を以て璧を薦め、然る後に行ふを得。又銀錫を造りて白金と為す。

現代語訳

その翌年、山東が水害に見舞われ、多くの民が飢えに苦しんだ。そこで天子は使者を遣わして郡や国の穀物倉を空にして貧民を救済させた。それでも足りず、さらに富豪に呼びかけて貸し付けさせた。それでもなお救いきれなかったので、貧民を函谷関より西へ移し、また朔方より南の新秦中にも移住させ、その数は七十万人余りに上り、衣食はすべて県の役所が支給した。数年間は生業のための元手を貸し与え、使者が地域を分担してこれを保護し、その使者たちの冠や車の覆いが道に途切れず見えるほどであった。その費用は億をもって数え、数えきれなかった。こうして政府の財政は大いに空になった。ところが富裕な大商人たちの中には、財を蓄えて貧民を使い、百台もの車を連ねて商品を運び、物を安く買いだめして町に住み、封君たちでさえ頭を下げて彼らから資金の融通を受けるありさまだった。鉄を鋳造し塩を煮て、財産が万金を重ねる者もいたが、国家の急場を助けようとはせず、民はますます困窮した。そこで天子は公卿と議論し、銭を改め新しい貨幣を造って財政を補い、同時に浮ついた贅沢者や土地を買い集める者を打ち砕こうとした。このころ、御苑には白い鹿がいて、少府(帝室財政の役所)には銀や錫が多くあった。孝文帝が四銖銭を改鋳してからこの年まで四十年余り、建元年間以来、財政は乏しく、県の役所はしばしば銅の多い山のそばで銭を鋳造し、民もまたひそかに銭を私鋳することが数えきれないほどであった。銭はますます多く軽くなり、物はますます少なく高くなった。役人が言った。「古は皮の貨幣があり、諸侯はそれを用いて互いに訪問し献上し合った。金属には三等級があり、黄金が上、白金(銀)が中、赤金(銅)が下である。今、半両銭は規定では重さ四銖である。ところが悪人の中には銭の裏をこっそり削って銅の粉を取る者がいて、銭はますます軽く薄くなり物価は高くなり、遠方で貨幣を使う際には煩わしく費用がかさんで無駄が多い」。そこで一尺四方の白い鹿の皮に色鮮やかな模様で縁取りをして皮幣とし、その価値を四十万銭とした。王侯や皇族が朝見や献上を行うときには、必ずこの皮幣に璧を載せて献じ、そのうえで初めて儀礼を行えることにした。また銀と錫を混ぜて白金を造った。

解説

水害で七十万人を超える貧民を移住させ、衣食をすべて官が支給したことで、財政はついに底をつきます。その一方で、製鉄や製塩で万金の富を築いた大商人たちは、諸侯さえ頭を下げて資金を借りるほどの力を持ちながら、国家の危機を助けようとしませんでした。そこで武帝は通貨改革で財源を確保し、同時に大商人の力を削ごうとします。私鋳や銭の削り取りで貨幣の価値が下がり物価が上がる中、白い鹿の皮で作った「皮幣」に四十万銭もの価値を定め、王侯に献上用として買わせました。事実上の強制的な課税です。危機のときに社会への貢献を拒む富裕層と、財源を求める政府の対立は、形を変えて今も繰り返されています。力を持つ者が危機に何をするかが、その後の扱いを決めるのです。

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