史記 / 暦書
閏十三大餘十五,小餘九十三;大餘三十三,小餘二十四;祝犁大荒落四年。右曆書:大餘者,日也。小餘者,月也。端蒙者,年名也。支:丑名赤奮若,寅名攝提格;干,丙名游兆。正北,冬至加子時;正西,加酉時;正南,加午時;正東,加卯時。
新字:閏十三大余十五,小余九十三;大余三十三,小余二十四;祝犁大荒落四年。右暦書:大余者,日也。小余者,月也。端蒙者,年名也。支:丑名赤奮若,寅名摂提格;干,丙名游兆。正北,冬至加子時;正西,加酉時;正南,加午時;正東,加卯時。
書き下し
閏十三。大余は十五、小余は九十三。大余は三十三、小余は二十四。祝犁大荒落、四年。右は暦書なり。大余とは、日なり。小余とは、月なり。端蒙とは、年名なり。支は、丑を赤奮若と名づけ、寅を摂提格と名づく。干は、丙を游兆と名づく。正北は、冬至子の時に加ふ。正西は、酉の時に加ふ。正南は、午の時に加ふ。正東は、卯の時に加ふ。
現代語訳
この年は閏月があり十三か月。十一月朔日(天正)の大余は十五、小余は九十三。冬至の大余は三十三、小余は二十四。祝犁大荒落の年、建始四年である。以上が暦書である。大余とは日(の数)であり、小余とは月(に関わる端数)である。端蒙とは年の名である。十二支では、丑を赤奮若と名づけ、寅を摂提格と名づける。十干では、丙を游兆と名づける。(冬至の小余が〇なら)真北で、冬至は子の刻に当たる。(八なら)真西で、酉の刻に当たる。(十六なら)真南で、午の刻に当たる。(二十四なら)真東で、卯の刻に当たる。
解説
暦術甲子篇の最後の一年、成帝の建始四年の数値と、暦書全体の結びの注記です。注記では、大余は日の数、小余は端数を表すこと、端蒙などは年の名であることを説明し、十二支の丑を赤奮若、寅を摂提格、十干の丙を游兆と呼ぶ例を挙げています。最後の四句は、冬至の小余が〇・八・十六・二十四のどれかによって、冬至の時刻が子・酉・午・卯の刻、つまり真夜中・夕方・正午・明け方になることを方角で示したもので、四年で一巡する冬至の時刻のずれを表しています。表の数値だけでは読み手に意味が伝わらないため、凡例を添えたのでしょう。どれほど正確なデータでも、読み方が分からなければ役に立ちません。資料には必ず凡例や説明を付けるという当たり前の配慮が、二千年前の表にもすでに見られるのです。
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史記 律書陽気の垝るるを言ふ、故に危と曰ふ。十月なり、律は応鐘に中る。応鐘とは、陽気の応にして、事を用ひざるなり。其の十二子に於いては亥と為す。亥とは、該なり。陽気下に蔵す、故に該なりと言ふ。広莫風は北方に居る。広莫とは、陽気下に在り、陰は陽の広大なるに莫しと言ふなり、故に広莫と曰ふ。東して虚に至る。虚とは、能く実ち能く虚し、陽気冬は則ち虚に宛蔵するを言ひ、万物其の所を変動し、陰陽の気未だ相離れず、尚相胥つを言ふなり、故に須女と曰ふ。十一月なり、律は黄鐘に中る。黄鐘とは、陽気黄泉を踵みて出づるなり。其の十二子に於いては子と為す。子とは、滋なり。滋とは、万物下に滋るを言ふなり。其の十母に於いては壬癸と為す。壬の言為る任なり、陽気万物を下に任養するを言ふなり。癸の言為る揆なり、万物揆度すべきを言ふ、故に癸と曰ふ。東して牽牛に至る。牽牛とは、陽気万物を牽引して之を出だすを言ふなり。牛とは、冒なり、地凍ると雖も、能く冒して生ずるを言ふなり。牛とは、耕して万物を植種するなり。東して建星に至る。建星とは、諸々の生を建つるなり。十二月なり、律は大呂に中る。大呂とは。其の十二子に於いては丑と為す。条風は東北に居り、万物を出だすを主る。条の言為る万物を条治して之を出だすなり、故に条風と曰ふ。南して箕に至る。箕とは、万物の根棋を言ふ、故に箕と曰ふ。正月なり、律は泰蔟に中る。也、故に寅と曰ふ。南して尾に至る、万物始めて生ずること尾の如きを言ふなり。南して心に至る、万物始めて生じて華心有るを言ふなり。南して房に至る。房とは、万物の門戸を言ふなり、門に至れば則ち出づ。明庶風は東方に居る。明庶とは、衆物を明らかにして尽く出だすなり。二月なり、律は夾鐘に中る。而して出づるなり。乙とは、万物の生ずること軋軋たるを言ふなり。南して氐に至る者。也。
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