史記 / 殷本紀
周武王遂斬紂頭,縣之大白旗。殺妲己。釋箕子之囚,封比干之墓,表商容之閭。封紂子武庚祿父,以續殷祀,令修行盤庚之政。殷民大說。於是周武王為天子。其後世貶帝號,號為王。而封殷後為諸侯,屬周。周武王崩,武庚與管叔、蔡叔作亂,成王命周公誅之,而立微子於宋,以續殷後焉。太史公曰:余以頌次契之事,自成湯以來,采於書詩。契為子姓,其後分封,以國為姓,有殷氏、來氏、宋氏、空桐氏、稚氏、北殷氏、目夷氏。孔子曰,殷路車為善,而色尚白。
新字:周武王遂斬紂頭,県之大白旗。殺妲己。釈箕子之囚,封比干之墓,表商容之閭。封紂子武庚禄父,以続殷祀,令修行盤庚之政。殷民大説。於是周武王為天子。其後世貶帝号,号為王。而封殷後為諸侯,属周。周武王崩,武庚与管叔、蔡叔作乱,成王命周公誅之,而立微子於宋,以続殷後焉。太史公曰:余以頌次契之事,自成湯以来,采於書詩。契為子姓,其後分封,以国為姓,有殷氏、来氏、宋氏、空桐氏、稚氏、北殷氏、目夷氏。孔子曰,殷路車為善,而色尚白。
書き下し
周の武王遂に紂の頭を斬り、之を大白旗に県く。妲己を殺す。箕子の囚を釈き、比干の墓を封じ、商容の閭を表す。紂の子武庚禄父を封じて、以て殷の祀を続がしめ、盤庚の政を修行せしむ。殷の民大いに説ぶ。是に於て周の武王天子と為る。其の後世帝号を貶して、号して王と為す。而して殷の後を封じて諸侯と為し、周に属せしむ。周の武王崩じ、武庚管叔・蔡叔と乱を作す。成王周公に命じて之を誅せしめ、而して微子を宋に立て、以て殷の後を続がしむ。太史公曰く、余頌を以て契の事を次で、成湯より以来は、書・詩に采る。契は子姓為り、其の後分封せられ、国を以て姓と為す。殷氏・来氏・宋氏・空桐氏・稚氏・北殷氏・目夷氏有り。孔子曰く、殷の路車を善しと為し、而して色は白を尚ぶと。
現代語訳
周の武王はついに紂の首を斬り、大きな白旗に吊るした。妲己を殺した。箕子を牢から解き放ち、比干の墓に土を盛って祭り、商容の住む村の門に表彰の印を掲げた。紂の子の武庚禄父を封じて殷の祭祀を継がせ、盤庚の政治を行わせた。殷の民は大いに喜んだ。こうして周の武王は天子となった。その後の時代には帝の称号を下げて、王と称するようになった。そして殷の子孫を諸侯に封じ、周に従属させた。周の武王が崩じると、武庚は管叔・蔡叔とともに乱を起こした。成王は周公に命じてこれを誅伐させ、微子を宋に立てて殷の家系を継がせた。太史公は言う。私は『詩経』の頌をもとに契の事績を順序立て、成湯以後のことは『尚書』と『詩経』から採った。契は子姓であり、その子孫はそれぞれ封じられて国名を姓とした。殷氏・来氏・宋氏・空桐氏・稚氏・北殷氏・目夷氏がある。孔子は、殷の路車(天子の乗る車)は立派であり、色は白を尊んだ、と言っている。
解説
関連する章句
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史記 周本紀是に於て武王再拝稽首して、曰く、「大命を膺け更め、殷を革め、天の明命を受く」と。武王又再拝稽首して、乃ち出づ。商紂の子禄父に殷の余民を封ず。武王殷の初めて定まりて未だ集まらざるが為に、乃ち其の弟管叔鮮・蔡叔度をして禄父を相けて殷を治めしむ。已にして召公に命じて箕子の囚を釈かしむ。畢公に命じて百姓の囚を釈き、商容の閭を表せしむ。南宮括に命じて鹿台の財を散じ、鉅橋の粟を発し、以て貧弱の萌隷を振はしむ。南宮括・史佚に命じて九鼎保玉を展べしむ。閎夭に命じて比干の墓を封ぜしむ。宗祝に命じて軍に享祠せしむ。乃ち兵を罷めて西に帰る。行きて狩し、政事を記し、武成を作る。諸侯を封じ、宗彝を班賜し、分殷之器物を作る。武王先聖王を追思し、乃ち神農の後を焦に、黄帝の後を祝に、帝堯の後を薊に、帝舜の後を陳に、大禹の後を杞に褒封す。是に於て功臣謀士を封じ、而して師尚父を首封と為す。尚父を営丘に封じ、斉と曰ふ。弟周公旦を曲阜に封じ、魯と曰ふ。召公奭を燕に封ず。弟叔鮮を管に、弟叔度を蔡に封ず。余は各次を以て封を受く。武王九牧の君を徴し、豳の阜に登りて、以て商邑を望む。
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史記 管蔡世家文王崩じて発立つに及ぶ。是を武王と為す。伯邑考既已に前に卒す。武王已に殷の紂に克ち、天下を平らげ、功臣昆弟を封ず。是に於て叔鮮を管に封じ、叔度を蔡に封ず。二人、紂の子武庚禄父に相として、殷の遺民を治む。叔旦を魯に封じて周に相たらしめ、周公と為す。叔振鐸を曹に封じ、叔武を成に封じ、叔処を霍に封ず。康叔封・冉季載は皆少くして、未だ封を得ず。
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史記 周本紀武王已に殷に克ち、後二年、箕子に殷の亡びし所以を問ふ。箕子殷の悪を言ふに忍びず、存亡の国の宜しきを以て告ぐ。武王も亦醜ぢ、故に問ふに天道を以てす。武王病む。天下未だ集まらず、群公懼れ、穆卜す。周公乃ち祓斎し、自ら質と為り、武王に代はらんと欲す。武王瘳ゆる有り。後にして崩じ、太子誦代はりて立つ。是を成王と為す。成王少く、周初めて天下を定む。周公諸侯の周に畔かんことを恐れ、公乃ち摂行して政し国に当たる。管叔・蔡叔の群弟周公を疑ひ、武庚と乱を作し、周に畔く。周公成王の命を奉じ、武庚・管叔を伐ちて誅し、蔡叔を放つ。微子開を以て殷の後に代へ、宋に国せしむ。頗る殷の余民を収め、以て武王の少弟封を封じて衛の康叔と為す。晋の唐叔嘉穀を得、之を成王に献ず。成王以て周公に兵所に帰る。周公禾を東土に受け、天子の命を魯ぶ。初め、管・蔡周に畔き、周公之を討ち、三年にして畢く定む。故に初めに大誥を作り、次に微子之命を作り、次に帰禾、次に嘉禾、次に康誥・酒誥・梓材を作る。其の事は周公の篇に在り。周公政を行ふこと七年、成王長じ、周公政を成王に反し、北面して群臣の位に就く。成王豊に在り、召公をして復た洛邑を営ましむ、武王の意の如し。周公復た卜して申ねて視、卒に営築し、九鼎を居く。曰く、「此れ天下の中にして、四方の入貢の道里均し」と。召誥・洛誥を作る。成王既に殷の遺民を遷し、周公王命を以て告げ、多士・無佚を作る。召公保と為り、周公師と為り、東のかた淮夷を伐ち、奄を残し、其の君を薄泵に遷す。成王奄より帰り、宗周に在りて、多方を作る。既に殷の命を絀け、淮夷を襲ひ、帰りて豊に在り、周官を作る。礼楽を興正し、度制是に於て改まり、而して民和睦し、頌声興る。成王既に東夷を伐ち、息慎来たりて賀す。王栄伯に賜ひて賄息慎之命を作らしむ。
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呂氏春秋・愼大③武王、殷に勝ち、殷に入るや、未だ轝を下りざるに、命じて黄帝の後を鑄に封じ、帝堯の後を黎に封じ、帝舜の後を陳に封ず。轝より下り、命じて夏后の後を杞に封じ、成湯の後を宋に立て、以て桑林を奉ぜしむ。武王乃ち恐懼し、太息流涕す。周公旦に命じて殷の遺老を進めて、殷の亡びし故を問わしめ、又衆の説ぶ所、民欲する所を問わしむ。殷の遺老對えて曰く、「盤庚の政を復せんと欲す。」武王是に於いて盤庚の政を復し、巨橋の粟を發し、鹿臺の錢を賦し、以て民に私無きを示す。拘を出だして罪を救い、財を分かち責を棄て、以て窮困を振う。比干の墓を封じ、箕子の宮を靖んじ、商容の閭を表し、士の過ぐる者は趨らしめ、車にて過ぐる者は下りしむ。三日の內、與謀の士は封じて諸侯と為し、諸大夫は賞するに書社を以てし、庶士は政を施め賦を去る。然る後に河を濟り、西に歸りて廟に報ず。乃ち馬を華山に税き、牛を桃林に税き、馬は復た乘らず、牛は復た服せしめず。鼓旗甲兵に釁し、之を府庫に藏し、終身復た用いず。此れ武王の德なり。故に周の明堂は外戶閉じず、天下に藏せざるを示すなり。唯だ藏せざるのみならんか、以て至藏を守る可しとなり。武王、殷に勝ち、二虜を得て焉に問いて曰く、「若の國に妖有るか。」一虜對えて曰く、「吾が國に妖有り。晝星を見て、而して天、血を雨らせたり。此れ吾が國の妖なり。」一虜對えて曰く、「此れ則ち妖なり。然りと雖も、其の大なる者に非ざるなり。吾が國の妖、甚だしく大なる者は、子は父に聽かず、弟は兄に聽かず、君令は行われず、此れ妖の大なる者なり。」武王、席を避けて之を再拜す。此れ虜を貴ぶに非ざるなり、其の言を貴ぶなり。故に易に曰く、「愬愬として虎の尾を履む、終に吉なり。」
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史記 斉太公世家明日、武王社に立つ。群公明水を奉じ、衛の康叔封、采席を布き、師尚父牲を牽き、史佚策祝して、以て神に紂の罪を討つを告ぐ。鹿台の銭を散じ、鉅橋の粟を発して、以て貧民を振ふ。比干の墓に封し、箕子の囚を釈く。九鼎を遷し、周の政を修め、天下と更始す。師尚父の謀多きに居る。是に於て武王已に商を平げて天下に王たり。師尚父を斉の営丘に封ず。東して国に就くに、道に宿りて行くこと遅し。逆旅の人曰く、「吾聞く、時は得難くして失ひ易しと。客の寝ぬること甚だ安し。殆ど国に就く者に非ざるなり」と。太公之を聞き、夜衣て行き、犁明に国に至る。萊侯来り伐ち、之と営丘を争ふ。営丘は萊に辺す。萊人は夷なり。紂の乱にして周初めて定まり、未だ遠方を集むる能はざるに会す。是を以て太公と国を争ふ。
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史記 周本紀明年、犬戎を伐つ。明年、密須を伐つ。明年、耆国を敗る。殷の祖伊之を聞き、懼れて、以て帝紂に告ぐ。紂曰く、「天命有らずや。是れ何をか能く為さん」と。明年、邘を伐つ。明年、崇侯虎を伐つ。而して豊邑を作り、岐下より徙りて豊に都す。明年、西伯崩じ、太子発立つ。是を武王と為す。西伯蓋し即位五十年。其の羑里に囚はるるや、蓋し易の八卦を益して六十四卦と為す。詩人西伯を道ふに、蓋し命を受けし年に王を称して虞・芮の訟を断ずと。後十年にして崩じ、謚して文王と為す。法度を改め、正朔を制す。古公を追尊して太王と為し、公季を王季と為す。蓋し王の瑞は太王より興る。武王即位し、太公望を師と為し、周公旦を輔と為し、召公・畢公の徒王を左右し、師として文王の緒業を修む。九年、武王上りて畢に祭る。東のかた兵を観し、盟津に至る。文王の木主を為り、載するに車を以てし、中軍とす。武王自ら太子発と称し、文王を奉じて以て伐つと言ひ、敢へて自ら専らにせず。乃ち司馬・司徒・司空・諸節に告ぐ、「斉栗せよ、信なるかな。予無知なれども、先祖に徳臣有るを以て、小子先功を受け、畢く賞罰を立て、以て其の功を定めん」と。遂に師を興す。師尚父号して曰く、「爾の衆庶を総べ、爾の舟楫を与にせよ。後れて至る者は斬らん」と。武王河を渡り、中流にして、白魚躍りて王の舟中に入る。武王俯して取りて以て祭る。既に渡るに、火有りて上より下に復り、王屋に至りて、流れて烏と為る。其の色赤く、其の声魄なりと云ふ。是の時、諸侯期せずして盟津に会する者八百諸侯。諸侯皆曰く、「紂伐つ可し」と。武王曰く、「女未だ天命を知らず、未だ可ならず」と。乃ち師を還して帰る。居ること二年、紂の昏乱暴虐滋甚だしく、王子比干を殺し、箕子を囚ふと聞く。太師疵・少師彊其の楽器を抱きて周に奔る。
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