二宮翁夜話 / 巻之一
翁曰、一言を聞ても人の勤惰は分る者なり、東京は水さへ銭が出ると云は、懶惰者なり、水を売ても銭が取れるといふは勉強人なり、夜は未だ九時なるに十時だと云者は、寝たがる奴なり、未だ九時前也と云は、勉強心のある奴なり、すべての事、下に目を付け、下に比較する者は、必下り向の懶惰者也、たとへば碁を打て遊ぶは酒を飲よりよろし、酒を呑むは博奕よりよろしと云が如し、上に目を付け上に比較する者は、必上り向なり、古語に、一言以て知とし一言以て不知とす、とあり、うべなるかな。
書き下し
翁(おきな)曰(いわ)く、一言を聞ても人の勤惰(きんだ)は分る者なり、東京(えど)は水さへ銭が出ると云ふは、懶惰者(らんだもの)なり、水を売(う)りても銭が取れるといふは勉強人なり、夜は未(いま)だ九時なるに十時だと云ふ者は、寝たがる奴(やつ)なり、未だ九時前也と云ふは、勉強心のある奴なり、すべての事、下に目を付け、下に比較(ひこう)する者は、必(かなら)ず下り向(さがりむき)の懶惰者也、たとへば碁を打て遊ぶは酒を飲(の)むよりよろし、酒を呑むは博奕(ばくえき)よりよろしと云ふが如し、上に目を付け上に比較する者は、必ず上り向(あがりむき)なり、古語に、一言以て知とし一言以て不知(ふち)とす、とあり、うべなるかな。
現代語訳
翁(二宮尊徳)が言われた。ほんの一言を聞いただけで、人の勤勉か怠惰かは分かるものだ。「江戸は水さえ銭がかかる」と言う者は怠け者であり、「水を売っても銭が取れる」と言う者は勤勉な人である。夜がまだ九時なのに「もう十時だ」と言う者は寝たがりの怠け者、「まだ九時前だ」と言う者は勤勉心のある者だ。すべてのことで、下に目をつけ下と比べる者は、必ず落ち目の怠け者である。たとえば「碁を打って遊ぶのは酒を飲むよりましだ」「酒を飲むのは博打よりましだ」と言うような類だ。逆に、上に目をつけ上と比べる者は、必ず伸びていく者である。古語に「一言でその人が賢いと分かり、一言で愚かだと分かる」とある。まことにもっともなことだ。
解説
尊徳は、人のちょっとした言葉づかいに、その勤勉さや心の向きが表れると説きます。同じ水でも「銭がかかる」と嘆くか「売れば銭になる」と考えるか、同じ時刻でも「もう遅い」と見るか「まだ早い」と見るか――その一言に、人生を下向きに見るか上向きに見るかが現れるというのです。下と比べて安心する者は落ちていき、上を見て学ぶ者は伸びていく。これは勤労を尊ぶ報徳思想の、日常における人間観察の鋭さを示しています。現代でも、言葉は心の癖を映し出します。困難を嘆く言葉ばかりか、そこに機会を見出す言葉か。低きに合わせて自足するか、高きを目指して努力するか。自分の口ぐせを省みることは、生き方の向きを正す第一歩になるという、示唆に富む教えです。
この章句が説くこと
二宮翁夜話報徳勤労勤惰言葉と心向上心
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