司馬法 / 仁本
故國雖大,好戰必亡;天下雖安,忘戰必危。
新字:故国雖大,好戦必亡;天下雖安,忘戦必危。
書き下し
故に国大なりと雖も、戦を好めば必ず亡び、天下安しと雖も、戦を忘るれば必ず危うし。
現代語訳
それゆえ国がどれほど大きくても、戦を好めば必ず滅び、天下が安泰であっても、戦への備えを忘れれば必ず危うくなる。
解説
大国であっても争いを好めば必ず滅び、世の中が安定していても備えを忘れれば必ず危うくなるという、司馬法屈指の警句である。強さや順調さそのものが問題なのではなく、力に頼りすぎる姿勢と、平穏に慣れて緊張感を失う姿勢の両方が破綻を招くと説く。仕事や生活が順調な時ほど、攻めすぎと油断のどちらにも傾いていないか点検する材料になる一句である。
この章句が説くこと
好戦油断備え
関連する章句
-
葉隠・聞書第一前方(ぜんぽう)に極め置くのが覺(さと)りの士、穿鑿(せんさく)せぬのは不覺(ふかく)の士である。覺りの士というのは、事に逢って仕(し)たるように、前方に、それぞれの仕様(しよう)を吟味し置いて、その時に出合い、仕果(しはた)す者である。不覺の士というのは、その時に至って前方に穿鑿せぬのは、不覺の士と申す。
-
尚書・說命中惟れ事を事とするに、乃ち其れ備え有り、備え有れば患い無し。
-
孟子・公孫丑章句上孟子曰く、「仁なれば則ち榮え、不仁なれば則ち辱めらる。今辱めらるるを惡んで不仁に居るは、是れ猶ほ濕を惡んで下きに居るがごときなり。如し之を惡まば、徳を貴びて士を尊ぶに如くは莫し。賢者位に在り、能者職に在り、國家閒暇なりとせん。是の時に及びて其の政刑を明らかにせば、大國と雖も、必ず之を畏れん。詩に云う、『天の未だ陰雨せざるに迨(およぶ)んで、彼の桑土を徹(とる)り、牖(ユウ)戶を綢繆す。今此の下民、敢て予を侮どること或らんや。』孔子曰く、『此の詩を為りし者は、其れ道を知れるか。』能く其の國家を治めば、誰か敢て之を侮らん。今國家閒暇なりとせん。是の時に及んで般樂怠敖せば、是れ自ら禍を求むるなり。禍ᐻは己自り之を求めざる者無し。詩に云う『永く言、命を配し、自ら多ᐻを求む。』太甲に曰く、『天の作せる孼は猶ほ違く可し。自ら作せる孼は活く可からず。』此を之れ謂うなり。」
-
孫子・始計篇その備えなき所を攻め、その意に出でざる所に出づ。
-
孫子・虚実篇その趨かざる所に出で、その意わざる所に趨く。
-
葉隠・聞書第二武士は草鞋(わらじ)を作り習え、一里外(いちりそと)へは一人一升の兵糧(ひょうろう)を持て。前神右衛門(さきがみうえもん)は沓(くつ)草鞋作り候事上手にて候。組被官(くみひかん)抱え候時も、「草鞋作り候や、この細工成らざる者は足もたずなり。」と申し候。又一里外へは、一人一升の兵糧を袋に入れ、附けさせ候。それ故、浅黄木綿(あさぎもめん)の袋数多(あまた)作り置き候。まず、一升ずつさえあれば、その内に才覚(さいかく)成り申し候。太閤様(たいこうさま)名護屋(なごや)御下向(ごげこう)の時、朱鞘(しゅざや)の御大小に、又家康公の御家中の騎馬を太閤様へ御目に懸けられ候由。軍中にて第一の用意なり。今にても第一の用意なり。足半(あしなか)を御懸け候て、成瀬小吉(なるせこきち)紅(くれない)の沓を鞘にかけ候時、上下の数万人の用に立ち候に付て、咎草鞋(とがわらじ)一束もあるまじく候。されば、兼ねて心にかけ用意ある人の用に立ち候。尤(もっと)も作り習い候わで叶わざる儀なり。芝原(しばはら)、山道、川中などにて、草鞋はすべき事なり。足半よく候となり。