司馬法 / 仁本
故仁見親,義見說,智見恃,勇見身,信見信。
新字:故仁見親,義見説,智見恃,勇見身,信見信。
書き下し
故に仁は親しまるるに見(あら)われ、義は說(よろこ)ばるるに見われ、智は恃(たの)まるるに見われ、勇は身を以て見われ、信は信ぜらるるに見わる。
現代語訳
それゆえ仁は人に親しまれることによって表れ、義は人に喜ばれることによって表れ、智は人に頼られることによって表れ、勇は自ら先頭に立つことによって表れ、信は人に信じられることによって表れる。
解説
仁義智勇信という五つの徳が、それぞれどのように人から受け止められるかを対応づけた実践的な徳目論である。仁は親しまれることで、義は喜ばれることで、智は頼られることで、勇は自ら先頭に立つ姿で、信は信じられることで初めて本物だと分かるとする。徳は自称するものではなく、周囲の反応として現れて初めて意味を持つという見方は、日々の人付き合いにもそのまま当てはまる。

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五徳信頼実践
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