説苑 / 反質
晏子病將死,斷楹內書焉,謂其妻曰:「楹也,語子壯而視之!」及壯發書,書之言曰:「布帛不窮,窮不可飾;牛馬不窮,窮不可服;士不可窮,窮不可任。窮乎?窮乎?窮也!」
新字:晏子病将死,断楹内書焉,謂其妻曰:「楹也,語子壮而視之!」及壮発書,書之言曰:「布帛不窮,窮不可飾;牛馬不窮,窮不可服;士不可窮,窮不可任。窮乎?窮乎?窮也!」
書き下し
晏子病みて將に死せんとするに、楹を斷ちて書を內れ、其の妻に謂いて曰く、「楹なり、子壯なるを語りて之を視しめよ!」と。壯なるに及びて書を發くに、書の言に曰く、「布帛窮まらざれば、窮まりては以て飾るべからず。牛馬窮まらざれば、窮まりては以て服すべからず。士窮まるべからず、窮まりては以て任ずべからず。窮まれるか?窮まれるか?窮まれるなり!」と。
現代語訳
晏子が病に伏し今にも死のうとしていた時、柱を切り開いてその中に書き物を収め、妻に言い残した。「この柱だ。子が成人したら、これを語り聞かせて見せてやってほしい。」子が成人した時にその書き物を開いてみると、そこにはこう書かれていた。「布や絹は、まだ使い古されていないうちなら、それを飾りに用いることができるが、すり切れて古びてしまえば、もう飾りには使えない。牛や馬は、まだ弱っていないうちなら、車を引かせて用いることができるが、疲れ果ててしまえば、もう用いることはできない。士たる者も、行き詰まってしまってはならない、行き詰まってしまえば、もう重要な任務を任せることができなくなる。行き詰まっているか。行き詰まっているか。まさに行き詰まっているのだ。」
解説
晏子が死の間際に、あえて柱の中に隠すという手の込んだ方法で子孫に書き残したのは、布・牛馬・士という三段階の比喩を通じて、「窮まる(行き詰まり、擦り切れ、疲弊し尽くす)」ことがいかに取り返しのつかない事態であるかを警告するためであった。日用品や家畜の消耗と、人間の人格的な行き詰まりを並べて論じることで、士たる者が困窮や堕落によって用をなさなくなることの重大さを強調している。「窮まれるか、窮まれるか、まさに窮まれるなり」という三度の反復は、自らへの痛切な自戒であり、常に己を省みて、行き詰まる前に自らを立て直す努力を怠らないようにという、死してなお子孫を思う晏子の切実な遺言として読める。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
窮まることへの警告遺言自己点検
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