呂氏春秋 / 士節②
齊有北郭騷者,結罘罔,捆蒲葦,織萉屨,以養其母猶不足,踵門見晏子曰:“願乞所以養母。”晏子之僕謂晏子曰:“此齊國之賢者也,其義不臣乎天子,不友乎諸侯,於利不苟取,於害不苟免。今乞所以養母,是說夫子之義也,必與之。”晏子使人分倉粟分府金而遺之,辭金而受粟。有間,晏子見疑於齊君,出奔,過北郭騷之門而辭。北郭騷沐浴而出見晏子曰:“夫子將焉適?”晏子曰:“見疑於齊君,將出奔。”北郭子曰:“夫子勉之矣。”晏子上車,太息而歎曰:“嬰之亡豈不宜哉?亦不知士甚矣。”晏子行。北郭子召其友而告之曰:“說晏子之義,而當乞所以養母焉。吾聞之曰:‘養及親者,身伉其難。’今晏子見疑,吾將以身死白之。”著衣冠,令其友操劍奉笥而從,造於君庭,求復者曰:“晏子,天下之賢者也,去則齊國必侵矣。必見國之侵也,不若先死。請以頭託白晏子也。”因謂其友曰:“盛吾頭於笥中,奉以託。”退而自刎也。其友因奉以託。其友謂觀者曰:“北郭子為國故死,吾將為北郭子死也。”又退而自刎。齊君聞之,大駭,乘馹而自追晏子,及之國郊,請而反之。晏子不得已而反,聞北郭騷之以死白己也,曰:“嬰之亡豈不宜哉?亦愈不知士甚矣。”
新字:斉有北郭騷者,結罘罔,捆蒲葦,織萉屨,以養其母猶不足,踵門見晏子曰:“願乞所以養母。”晏子之僕謂晏子曰:“此斉国之賢者也,其義不臣乎天子,不友乎諸侯,於利不苟取,於害不苟免。今乞所以養母,是説夫子之義也,必与之。”晏子使人分倉粟分府金而遺之,辞金而受粟。有間,晏子見疑於斉君,出奔,過北郭騷之門而辞。北郭騷沐浴而出見晏子曰:“夫子将焉適?”晏子曰:“見疑於斉君,将出奔。”北郭子曰:“夫子勉之矣。”晏子上車,太息而嘆曰:“嬰之亡豈不宜哉?亦不知士甚矣。”晏子行。北郭子召其友而告之曰:“説晏子之義,而当乞所以養母焉。吾聞之曰:‘養及親者,身伉其難。’今晏子見疑,吾将以身死白之。”著衣冠,令其友操剣奉笥而従,造於君庭,求復者曰:“晏子,天下之賢者也,去則斉国必侵矣。必見国之侵也,不若先死。請以頭託白晏子也。”因謂其友曰:“盛吾頭於笥中,奉以託。”退而自刎也。其友因奉以託。其友謂観者曰:“北郭子為国故死,吾将為北郭子死也。”又退而自刎。斉君聞之,大駭,乗馹而自追晏子,及之国郊,請而反之。晏子不得已而反,聞北郭騷之以死白己也,曰:“嬰之亡豈不宜哉?亦愈不知士甚矣。”
書き下し
齊に北郭騷なる者有り。罘摃を結び、蒲葦を梱み、萉屨を織りて、以て其の母を養うも猶ほ足らず。門に踵りて晏子に見えて曰く、「願わくは以て母を養う所のものを乞う。」晏子の僕、晏子に謂いて曰く、「此れ齊國の賢者なり。其の義、天子に臣たらず、諸侯に友たらず。利に於いて苟くも取らず、害に於いて苟くも免れず。今以て母を養う所のものを乞う、是れ夫子の義を説ぶなり。必ず之に與えよ。」晏子、人をして倉粟を分かち府金を分かちて之に遺らしむ。金を辭して粟を受く。間有りて、晏子、齊君に疑われ、出で奔らんとして、北郭騷の門に過りて辭す。北郭騷、沐浴して、出でて晏子を見て曰く、「夫子は將に焉にか適かんとする。」晏子曰く、「齊君に疑われ、將に出でて奔らんとす。」北郭子曰く、「夫子之を勉めよ。」晏子車に上り、太息して歎じて曰く、「嬰の亡すること、豈に宜ならずや。亦た士を知らざること甚だし。」晏子行る。北郭子、其の友を召して之に告げて曰く、「晏子の義を説びて、嘗て以て母を養う所のものを乞えり。吾之を聞くに、曰く、『養い親に及ぶ者は、身其の難に伉る。』今晏子疑わる。吾將に身を以て死し、之を白らかにせんとす。」衣冠を著け、其の友をして劍を操り笥を奉じて從わしめ、君庭に造り、復者を求めて曰く、「晏子は、天下の賢者なり。去れば則ち齊國は必ず侵されん。必ず國の侵さるるを見んよりは、先づ死するに若かず。請う頭を以て託し、晏子を白らかにせん。」因りて其の友に謂いて曰く、「吾が頭を笥中に盛り、奉じて以て託せよ。」退きて自刎す。其の友因りて奉じて以て託す。其の友、觀る者に謂いて曰く、「北郭子は國の為の故に死せり。吾將に北郭子の為に死せんとす。」又退きて自刎す。齊君之を聞き、大いに駭き、馹に乘りて自ら晏子を追い、之に國郊に及び、請いて之を反す。晏子已むを得ずして反り、北郭騷の死を以て己を白らかにせしを聞き、曰く、「嬰の亡すること、豈に宜ならずや。亦た愈々士を知らざりしこと甚だしかりき。」
現代語訳
斉に北郭騒という者がいた。網を結い、蒲や葦を編み、麻の履物を織って母を養っていたが、それでも暮らしは足りなかった。彼は晏子(晏嬰)の門を訪ねて会い、「どうか母を養うための助けをお願いしたい」と言った。晏子の従者が晏子に言った、「これは斉国の賢者です。その節義は、天子にも臣従せず、諸侯とも気安く交わらず、利に対してはいい加減に取らず、害に対してもいい加減に逃げません。今、母を養う助けを乞うのは、あなたの義を慕ってのことです。ぜひ与えてください」。晏子は人をやって倉の粟と府庫の金とを分けて贈らせた。北郭騒は金は辞退して粟だけを受け取った。しばらくして、晏子は斉君に疑われ、出奔しようとして、北郭騒の門に立ち寄って別れを告げた。北郭騒は沐浴して出てきて晏子に会い、「あなたはどこへ行かれるのか」と言った。晏子は「斉君に疑われ、出奔しようとしている」と答えた。北郭子は「どうか身を全うされよ」と言った。晏子は車に乗り、大きくため息をついて嘆いた、「私が国を追われるのは当然ではないか。私は士というものをまるで分かっていなかった」。晏子は去った。北郭子は友を呼んで告げた、「私は晏子の義を慕って、かつて母を養う助けを乞うた。私はこう聞いている、『養いが親にまで及ぶ助けを受けた者は、その人の危難には身をもって当たる』と。今、晏子が疑われている。私は身を捨てて死に、彼の潔白を明らかにしよう」。そして衣冠を整え、友に剣を持たせ箱を捧げさせて従わせ、君主の庭に赴き、取り次ぎの者を呼んで言った、「晏子は天下の賢者だ。彼が去れば斉国は必ず侵されるだろう。国が侵されるのを見るくらいなら、先に死んだ方がよい。どうか私の首をもって、晏子の潔白を証明したい」。そして友に言った、「私の首を箱に納め、捧げて取り次いでくれ」。そう言って自ら首をはねた。友はその首を捧げて取り次いだ。その友は見ている者たちに言った、「北郭子は国のために死んだ。私は北郭子のために死のう」。そう言ってまた自ら首をはねた。斉君はこれを聞いて大いに驚き、伝馬に乗って自ら晏子を追い、国の郊外で追いつき、頼んで連れ戻した。晏子はやむなく戻り、北郭騒が死をもって自分の潔白を明らかにしたことを聞いて、言った、「私が国を追われたのは当然ではないか。私はますます士というものを分かっていなかったのだ」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『晏子春秋』雑上・晏子遺北郭騷米以養母騷殺身以明晏子之賢斉に北郭騷という者有り。罘罔を結び、蒲葦を捆ね、萉屨を織りて、以て其の母を養うも、猶お足らず。門を踵ぎて晏子に見えて曰く、「竊かに先生の義を説ぶ。願わくは母を養う所以の者を乞わん」と。晏子人をして倉の粟、府の金を分かちて之に遺らしむ。金を辞して粟を受く。間有りて、晏子景公に疑われ、出奔するに、北郭騷の門を過ぎて辞す。北郭騷沐浴して晏子に見えて曰く、「夫子将に焉くにか適かんとする」と。晏子曰く、「斉君に疑われ、将に出奔せんとす」と。北郭騷曰く、「夫子之を勉めよ」と。晏子車に上り、太息して歎じて曰く、「嬰の亡ぶ、豈に宜ならずや。亦た士を知らざること甚だし」と。晏子行く。北郭子其の友を召して之に告げて曰く、「吾晏子の義を説び、嘗て母を養う所以の者を乞えり。吾之を聞く、養い親に及べば、身は其の難を伉ぐ、と。今晏子疑われたり。吾将に身を以て死して之を白さんとす」と。衣冠を著け、其の友をして剣を操り笥を奉じて従わしめ、君の庭に造りて、復する者を求めて曰く、「晏子は、天下の賢者なり。今斉国を去らば、斉は必ず侵されん。方に国の必ず侵されんことを見る。先に死するに若かず。請う、頭を以て晏子に托して白さん」と。因りて其の友に謂いて曰く、「吾が頭を笥中に盛り、奉じて以て托せよ」と。退きて自刎す。
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説苑・復恩北郭騒踵いで晏子に見えて曰く、「窃かに先生の義を悦び、願はくは母を養ふ所以を乞はん」と。晏子人をして倉粟府金を分ちて之を遺らしむ、金を辞して粟を受く。間有りて、晏子景公に疑はれ、出奔す、北郭子其の友を召して之に告げて曰く、「吾晏子の義を悦びて嘗て母を養ふ所以を乞ひし者なり。吾之を聞く、其の親を養ふ者は、身其の難に更る、と。今晏子疑はる、吾将に身を以て之を白さんとす」と。遂に公庭に造りて復する者を求めて曰く、「晏子は天下の賢者なり、今斉国を去らば、斉国必ず侵されん、方に必ず国の侵さるるを見んとせば、若かず先に死して頸を絶ちて以て晏子を白すに」と。逡巡して退き、因りて自殺するなり。公之を聞きて大いに駭き、馳に乗じて自ら晏子を追ひ、之に国郊に及び、請ひて之を反す、晏子已むを得ずして之に反る、北郭子の死を以て己を白すを聞き、太息して歎じて曰く、「嬰不肖にして、罪過固に其の所なり、而れども士身を以て之を明らかにす、哀しいかな」と。
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『晏子春秋』雑上・晏子遺北郭騷米以養母騷殺身以明晏子之賢其の友因りて奉じて以て托し、而して復する者に謂いて曰く、「此れ北郭子国の為の故に死す。吾将に北郭子の為に死せんとす」と。又た退きて自刎す。景公之を聞きて、大いに駭き、馹に乗りて自ら晏子を追い、国郊に及びて、請いて之を反らしむ。晏子已むを得ずして反り、北郭子の死を以て己を白すを聞き、太息して歎じて曰く、「嬰の亡ぶ、豈に宜ならずや。亦た愈いよ士を知らざること甚だし」と。
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『新序』節士第七晏子晉に之く。裘を披て芻を負い途に息う者を見る。以て君子と爲すなり。人をして問わしむ。曰く、曷爲れぞ此に至れる、と。對えて曰く、齊人之を纍にす。吾が名は越石甫と曰う、と。晏子曰く、嘻、と。遽かに左驂を解きて以て之を贖い、載せて與に歸る。舍に至り、辭せずして入る。越石甫怒りて絶たんことを請う。晏子人をして之に應えしめて曰く、嬰未だ嘗て交わりを得ざるなり。今子を患いより免る。吾子に於いて猶お未だ可ならざるか、と。越石甫曰く、吾聞く、君子は己を知らざるに詘し、而して己を知る者に信ぶ、と。吾是を以て絶たんことを請うなり、と。晏子乃ち出でて之を見て曰く、向には客の容を見て、今や客の意を見たり。嬰聞く、實を察する者は聲に留まらず、行を觀る者は辭に幾めず、と。嬰辭して棄つる無かる可きか、と。越石甫曰く、夫子之を禮す。敢えて敬い從わざらんや、と。晏子遂に以て上客と爲す。俗人は功有れば則ち德とす。德とすれば則ち驕る。晏子は功有り、人を厄より免れしめて反って之に詘下す。其の俗を去ること亦た遠し。此れ功を全うするの道なり。
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呂氏春秋・觀世②晏子、晉に之き、裘を反し芻を負い塗に息う者を見る、以為らく、君子なりと。人をして問わしめて曰く、「曷為れぞ此に至る。」對えて曰く、「齊人之を累す。名を越石父と為す。」晏子曰く、「譆。」遽かに左驂を解きて以て之を贖い、載せて與に歸る。舍に至り、辭せずして入る。越石父怒り、絶を請う。晏子、人をして之に應えしめて曰く、「嬰未だ嘗て交りを得ざるなり。今、子を患いより免れしむ。吾の子に於けるや猶ほ未だしきか。」越石父曰く、「吾聞く、君子は己を知らざる者に屈し、己を知る者に伸ぶと。吾是を以て絶を請うなり。」晏子乃ち出でて之を見て曰く、「嚮には客の容を見るのみ。今や客の志を見る。嬰聞く、實を察する者は聲を留めず、行を觀る者は辭を譏せずと。嬰辭を以てして棄てらるること無かる可きか。」越石父曰く、「夫子之を禮せば、敢て敬みて從わざらんや。」晏子遂に以て客と為す。俗人は功有れば則ち德とす。德なれば則ち驕る。今晏子の功は人を阨より免れしむるに、而も反って屈して之に下る。其の俗を去ること亦た遠し。此れ功を全うするの道なり。
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呂氏春秋・知分④晏子、崔杼と盟い、其の辭に曰く、「崔氏に與せずして、公孫氏に與する者は、其の不祥を受けん。」。晏子俛して血を飲み、仰ぎて天を呼びて曰く、「公孫氏に與せずして崔氏に與する者は、此の不祥を受けん。」崔杼、說ばず。直兵胸に造り、句兵頸に鉤し、晏子に謂いて曰く、「子、子の言を變ずれば、則ち齊國は吾と子と之を共にせん。子、子の言を變ぜずんば、則ち今是れのみ。」晏子曰く、「崔子、子獨り夫の詩を為めざるか。詩に曰く、『莫莫たる葛藟は、條枚に延えり。凱弟の君子は、福を求めて回わず。』嬰は且た回うを以て福を求む可けんや。子之を惟え。」崔杼曰く、「此れ賢者なり。殺す可からざるなり。」兵を罷めて去る。晏子、綏を援りて乘る。其の僕將に馳せんとす。晏子、其の僕の手を撫して曰く、「之を安らかにせよ。節を失うこと毋かれ。疾きも必ずしも生きず、徐きも必ずしも死せず。鹿は山に生まるれども、命は厨に懸かる。今嬰の命、懸かる所有り。」晏子、命を知ると謂う可し。命なる者は、然る所以を知らずして然る者なり。人、智巧を事として以て舉錯するも、與るを得ず。故に命なる者は、之に就くとも未だ得ず、之を去るとも未だ失わず。國士は其の此の若きを知るなり。故に義を以て之が決を為して之に安處す。

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