説苑 / 反質
趙簡子乘弊車瘦馬,衣羖羊裘,其宰進諫曰:「車新則安,馬肥則往來疾,狐白之裘溫且輕。」簡子曰:「吾非不知也。吾聞之,君子服善則益恭,細人服善則益倨;我以自備,恐有細人之心也。傳曰:周公位尊愈卑,勝敵愈懼,家富愈儉,故周氏八百餘年,此之謂也。」
新字:趙簡子乗弊車瘦馬,衣羖羊裘,其宰進諫曰:「車新則安,馬肥則往来疾,狐白之裘温且軽。」簡子曰:「吾非不知也。吾聞之,君子服善則益恭,細人服善則益倨;我以自備,恐有細人之心也。伝曰:周公位尊愈卑,勝敵愈懼,家富愈倹,故周氏八百余年,此之謂也。」
書き下し
趙の簡子弊車瘦馬に乘り、羖羊の裘を衣る、其の宰進みて諫めて曰く、「車新たなれば則ち安く、馬肥ゆれば則ち往來疾く、狐白の裘は溫にして且つ輕し。」と。簡子曰く、「吾知らざるに非ざるなり。吾之を聞く、君子善を服せば則ち益々恭しく、細人善を服せば則ち益々倨ると。我以て自ら備う、恐らくは細人の心有らんことをと。傳に曰く、周公位尊くして愈よ卑く、敵に勝ちて愈よ懼れ、家富みて愈よ儉なり、故に周氏八百餘年なり、此を之れ謂うなり。」と。
現代語訳
趙の簡子が古びた車と痩せた馬に乗り、粗末な羊の毛皮の衣を着ていた。その家宰が進み出て諫めて言った。「新しい車に乗れば乗り心地が良く、肥えた馬に乗れば行き来が速くなり、狐の白い毛皮の衣は暖かくて軽いものです。」簡子は答えた。「私は知らないわけではない。私はこう聞いている。君子は良いものを身につけるほどますます謙虚になり、つまらない人物は良いものを身につけるほどますます驕り高ぶるようになる、と。私は自らを戒めるために、つまらない人物のような驕った心が生まれることを恐れているのだ。伝にはこうある。『周公は地位が尊くなるほどますます謙り、敵に勝つほどますます畏れ、家が富むほどますます倹約した。だから周王朝は八百年余りも続いたのだ』と。まさにこのことを言っているのである。」
解説
良い物を身につけることそのものを否定するのではなく、「良いものを身につけたときに人格がどちらの方向に振れるか」を見極めることの重要性を説いている点が本章の要諦である。君子は恵まれるほど謙虚になり、小人は恵まれるほど傲慢になるという対比は、境遇や地位の向上そのものよりも、それに対する当人の心の持ちようこそが人格の真価を決めるという洞察を示す。周公が地位・勝利・富という三つの上昇局面すべてにおいて、あえて謙虚・畏れ・倹約という逆方向の姿勢を貫いたからこそ周王朝が長く続いたという歴史的教訓は、成功が続くほど慢心のリスクが高まる現代の組織や個人にとっても重い示唆を持つ。
この章句が説くこと
謙虚と驕り周公の教え成功と慢心
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