説苑 / 尊賢
周公攝天子位七年,布衣之士,執贄所師見者十二人,窮巷白屋所見者四十九人,時進善者百人,教士者千人,官朝者萬人。當此之時,誠使周公驕而且吝,則天下賢士至者寡矣,苟有至者,則必貪而尸祿者也,尸祿之臣,不能存君矣。
新字:周公摂天子位七年,布衣之士,執贄所師見者十二人,窮巷白屋所見者四十九人,時進善者百人,教士者千人,官朝者万人。当此之時,誠使周公驕而且吝,則天下賢士至者寡矣,苟有至者,則必貪而尸禄者也,尸禄之臣,不能存君矣。
書き下し
周公天子の位を摂すること七年、布衣の士、贄を執りて師とする所を見る者十二人、窮巷白屋にて見る所の者四十九人、時に善を進むる者百人、士を教うる者千人、朝に官たる者万人。此の時に当たりて、誠に周公をして驕りて且つ吝かならしめば、則ち天下の賢士至る者寡なからん。苟しくも至る者有らば、則ち必ず貪りて禄を尸くする者なり。禄を尸くするの臣は、君を存する能わず。
現代語訳
周公が摂政として天子の政務を執ること七年間、庶民の士でありながら贈り物を捧げて師事した者が十二人、貧しい路地の粗末な家に住む中から会いに行った者が四十九人、その時々に善言を進言した者が百人、士を教育した者が千人、朝廷に官職を得た者が一万人にのぼった。この時もし周公が驕り高ぶり、けちであったなら、天下から集まる賢い士はごくわずかであっただろう。集まる者がいたとしても、それは欲深く禄をむさぼるだけの者であっただろう。禄をむさぼるだけの臣下は、君主を守り支えることなどできない。
解説
摂政として絶大な権力を握った周公が、庶民出身の士にまで自らへりくだって師事し、膨大な数の人材を集めたという事実は、地位が高い者ほど謙虚さと寛大さを保つことの重要性を示す。もし周公が驕り高ぶりけちであったなら、集まるのは禄目当ての者だけだっただろうという仮定は、トップの姿勢そのものが引き寄せる人材の質を決定するという因果関係を明確にしており、権力を得るほど謙虚さを失いがちな現代の経営者・管理職にとって、自らの驕りが優秀な人材を遠ざけ、質の低い追従者ばかりを集めてしまうという警告として響く。
この章句が説くこと
謙虚驕り人材の質
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