説苑 / 反質
季文子相魯,妾不衣帛,馬不食粟。仲孫它諫曰:「子為魯上卿,妾不衣帛,馬不食粟,人其以子為愛,且不華國也。」文子曰:「然乎?吾觀國人之父母衣麤食蔬,吾是以不敢。且吾聞君子以德華國,不聞以妾與馬。夫德者得於我,又得於彼,故可行;若淫於奢侈,沈於文章,不能自反,何以守國?」仲孫它慚而退。
新字:季文子相魯,妾不衣帛,馬不食粟。仲孫它諫曰:「子為魯上卿,妾不衣帛,馬不食粟,人其以子為愛,且不華国也。」文子曰:「然乎?吾観国人之父母衣麤食蔬,吾是以不敢。且吾聞君子以徳華国,不聞以妾与馬。夫徳者得於我,又得於彼,故可行;若淫於奢侈,沈於文章,不能自反,何以守国?」仲孫它慚而退。
書き下し
季文子魯に相たり、妾帛を衣ず、馬粟を食らわず。仲孫它諫めて曰く、「子魯の上卿為るに、妾帛を衣ず、馬粟を食らわず、人其れ子を以て愛と為し、且つ國を華ならしめずと為さん。」と。文子曰く、「然るか?吾國人の父母の麤を衣、蔬を食らうを觀る、吾是を以て敢えてせざるなり。且つ吾聞く君子は德を以て國を華ならしむ、妾と馬とを以てすとは聞かず。夫れ德とは我に得て、又彼に得る、故に行うべし。若し奢侈に淫し、文章に沈まば、自ら反る能わず、何を以て國を守らんや?」仲孫它慚じて退く。
現代語訳
季文子が魯の宰相であった時、妾に絹の衣を着させず、馬には穀物の餌を与えなかった。仲孫它が諫めて言った。「あなたは魯の上卿という地位にありながら、妾に絹を着させず、馬に穀物を与えないのでは、人々はあなたを吝嗇だと思い、また国の体面を飾らないと思うでしょう。」季文子は答えた。「そうだろうか。私は国の民の父母たちが粗末な衣を着て、粗末な野菜を食べているのを見ている。だから私はあえて贅沢をしないのだ。それに私が聞くところでは、君子は徳によって国の体面を飾るのであり、妾や馬によって飾るとは聞いたことがない。そもそも徳というものは、自分自身にも得るところがあり、また他者にも得るところがある、だから実践する価値がある。もし奢侈にふけり、華美な装飾に溺れてしまえば、自ら立ち返ることができなくなる、それでどうして国を守ることができようか。」仲孫它は恥じ入って退出した。
解説

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国語・魯語上季文子、宣・成に相(しょう)たり。帛を衣(き)るの妾無く、粟を食むの馬無し。仲孫它(ちゅうそんた)諫めて曰く、「子は魯の上卿と為り、二君に相たり。妾は帛を衣ず、馬は粟を食まず。人其れ子を以て愛(お)しむと為さん。且つ国を華やかにせざるか」と。文子曰く、「吾も亦た之を願う。然れども吾国人を観るに、其の父兄の麤(そ)を食みて悪を衣る者猶お多し。吾是を以て敢えてせず。人の父兄麤を食み悪を衣て、我妾と馬とを美にするは、乃ち人に相たる者に非ざること無からんや。且つ吾徳栄を以て国の華と為すを聞く。妾と馬とを以てするを聞かず」と。 文子以て孟献子(もうけんし)に告ぐ。献子之を囚(とら)うること七日。是より、子服(しふく)の妾は衣七升の布に過ぎず、馬の餼(き)は稂莠(ろうゆう)に過ぎず。文子之を聞きて曰く、「過ちて能く改むる者は、民の上なり」と。使(し)て上大夫と為す。
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『臣軌』卷下 廉潔章其の路に非ずして之を行けば、労すと雖も至らず。其の有に非ずして之を求むれば、強うと雖も得ず。知者は其の事に非ざるを為さず、廉者は其の有に非ざるを求めず。是を以て害に遠ざかりて名彰わる。故に君子は廉を行いて以て其の真を全うし、清を守りて以て其の身を保つ。富財は義の多きに如かず、高位は徳の尊きに如かず。季文子、魯に相たり、妾は帛を衣ず、馬は粟を食まず。仲孫它諫めて曰く、「子は魯の上卿為り。妾は帛を衣ず、馬は粟を食まず。人其れ子を以て吝と為さん、且つ国を顕さざるなり」と。文子曰く、「然れども吾、国人の父母を観るに、粗を衣て蔬を食らう。吾是を以て敢えてせず。且つ吾聞く、君子は徳を以て国を顕すと。妾と馬とを以てする者を聞かず。夫れ徳なる者は、之を我に得、又彼に得、故に行う可きなり。若し独り奢侈を貪り、文章を好まば、是れ不徳なり。何を以て国に相たらん」と。仲孫慚じて退く。韓宣子貧を憂う。叔向之を賀す。宣子其の故を問う。対えて曰く、「昔、欒武子は貴くして能く貧し、故に能く徳を後に垂る。今吾子の貧は、是れ武子の徳なり。能く廉静を守る者は、福を致すの道なり。吾賀する所以なり」と。宣子再拝して、其の言を受く。
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説苑・反質齊の桓公管仲に謂いて曰く、「吾が國甚だ小にして、財用甚だ少なきに、群臣の衣服輿駕甚だ汰なり、吾之を禁ぜんと欲す、可なるか?」管仲曰く、「臣之を聞く、君之を嘗むれば、臣之を食らう。君之を好めば、臣之を服す。今君の食らうや必ず桂の漿、練紫の衣を衣、狐白の裘なり。此れ群臣の奢汰する所なり。詩に云う、『躬らせず親らせざれば、庶民信ぜず。』君之を禁ぜんと欲せば、胡ぞ自ら親らせざる?」と。桓公曰く、「善し。」と。是に於て練帛の衣、大白の冠に更制し、朝すること一年にして齊國儉なり。
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説苑・反質衛の叔孫文子王孫夏に問いて曰く、「吾が先君の廟小なり、吾之を更めんと欲す、可なるか?」對えて曰く、「古の君子は、儉を以て禮と為す。今の君子は、汰を以て之に易う。夫れ衛國貧しと雖も、豈に文履一奇を以て、十稷の繡に易うる無からんや?以て禮に非ずと為すなり。」文子乃ち止む。
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説苑・反質趙の簡子弊車瘦馬に乘り、羖羊の裘を衣る、其の宰進みて諫めて曰く、「車新たなれば則ち安く、馬肥ゆれば則ち往來疾く、狐白の裘は溫にして且つ輕し。」と。簡子曰く、「吾知らざるに非ざるなり。吾之を聞く、君子善を服せば則ち益々恭しく、細人善を服せば則ち益々倨ると。我以て自ら備う、恐らくは細人の心有らんことをと。傳に曰く、周公位尊くして愈よ卑く、敵に勝ちて愈よ懼れ、家富みて愈よ儉なり、故に周氏八百餘年なり、此を之れ謂うなり。」と。
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『春秋左氏伝』成公十六年 妾は帛を衣ず九月、晉人季文子を苕丘に執ふ。公還りて、鄆に待つ。子叔聲伯をして季孫を晉に請はしむ。郤犨曰く、「苟も仲孫蔑を去りて季孫行父を止めば、吾子に國を與へ、公室より親しくせん」と。對へて曰く、「僑如の情は、子必ず之を聞けり。若し蔑と行父とを去らば、是れ大いに魯國を棄てて、寡君を罪するなり。若し猶ほ棄てずして、惠みて周公の福を徼め、寡君をして晉君に事ふるを得しめば、則ち夫の二人は、魯國の社稷の臣なり。若し朝に之を亡はば、魯必ず夕に亡びん。魯の仇讎に密邇するを以って、亡びて讎と為らば、之を治むるも何ぞ及ばん」と。郤犨曰く、「吾子の為に邑を請はん」と。對へて曰く、「嬰齊は、魯の常隸なり。敢へて大國に介して、以って厚きを求めんや。寡君の命を承けて以って請ふ。若し請ふ所を得ば、吾子の賜多し。又何をか求めん」と。范文子欒武子に謂ひて曰く、「季孫は魯に於いて、二君に相たり。妾は帛を衣ず、馬は粟を食まず。忠と謂はざる可けんや。讒慝を信じて忠良を棄てば、諸侯を若何せん。子叔嬰齊は君命を奉じて私無く、國家を謀りて貳あらず、其の身を圖りて其の君を忘れず。若し其の請を虛しくせば、是れ善人を棄つるなり。子其れ之を圖れ」と。乃ち魯の平を許し、季孫を赦す。冬、十月、叔孫僑如を出だして之に盟ふ。僑如齊に奔る。