説苑 / 反質
魏文侯御廩災,文侯素服辟正殿五日,群臣皆素服而弔,公子成父獨不弔。文侯復殿,公子成父趨而入賀,曰:「甚大善矣!夫御廩之災也。」文侯作色不悅,曰:「夫御廩者,寡人寶之所藏也,今火災,寡人素服辟正殿,群臣皆素服而弔;至於子,大夫而不弔。今已復辟矣,猶入賀何為?」公子成父曰:「臣聞之,天子藏於四海之內,諸侯藏於境內,大夫藏於其家,士庶人藏於篋櫝。非其所藏者必有天災,必有人患。今幸無人患,乃有天災,不亦善乎!」文侯喟然嘆曰:「善!」
新字:魏文侯御廩災,文侯素服辟正殿五日,群臣皆素服而弔,公子成父独不弔。文侯復殿,公子成父趨而入賀,曰:「甚大善矣!夫御廩之災也。」文侯作色不悅,曰:「夫御廩者,寡人宝之所蔵也,今火災,寡人素服辟正殿,群臣皆素服而弔;至於子,大夫而不弔。今已復辟矣,猶入賀何為?」公子成父曰:「臣聞之,天子蔵於四海之内,諸侯蔵於境内,大夫蔵於其家,士庶人蔵於篋櫝。非其所蔵者必有天災,必有人患。今幸無人患,乃有天災,不亦善乎!」文侯喟然嘆曰:「善!」
書き下し
魏の文侯御廩災す、文侯素服して正殿を辟くること五日、群臣皆素服して弔す、公子成父獨り弔せず。文侯殿に復るや、公子成父趨りて入りて賀して曰く、「甚だ大いに善し!夫の御廩の災いや。」と。文侯色を作して悅ばず、曰く、「夫の御廩とは、寡人の寶の藏する所なり、今火災あり、寡人素服して正殿を辟け、群臣皆素服して弔す。子に至りて、大夫にして弔せず。今已に復辟せるに、猶お入りて賀するは何を為すや?」と。公子成父曰く、「臣之を聞く、天子は四海の內に藏し、諸侯は境內に藏し、大夫は其の家に藏し、士庶人は篋櫝に藏すと。其の藏する所に非ざれば必ず天災有り、必ず人患有り。今幸いに人患無くして、乃ち天災有り、亦善からずや!」と。文侯喟然として嘆じて曰く、「善し!」と。
現代語訳
魏の文侯の御用倉庫が火災に遭った。文侯は喪服に近い簡素な服を着て、正殿を避けること五日間に及んだ。家臣たちは皆簡素な服を着て弔いに訪れたが、公子の成父だけは弔いに来なかった。文侯が正殿に戻ると、公子成父は急いで参内し、祝いを述べて言った。「大変よろしいことでございます。あの御用倉庫の火災は。」文侯は顔色を変えて不快感を示し、言った。「あの御用倉庫は、私の宝物を収めている場所だ。今、火災が起きて、私は簡素な服を着て正殿を避け、家臣たちは皆簡素な服で弔いに来た。それなのにお前は、大夫でありながら弔いに来なかった。今、私がすでに正殿に戻ったというのに、なお参内して祝いを述べるとは、いったいどういうつもりか。」公子成父は答えた。「私が聞くところでは、天子は財宝を四海の内(天下全体)に蓄え、諸侯は自国の領内に蓄え、大夫は自分の家に蓄え、士や庶人は箱や櫃に蓄えるといいます。本来蓄えるべき場所に蓄えていなければ、必ず天災が起こるか、必ず人為の禍が起こるものです。今、幸いにも人為の禍はなく、ただ天災だけが起きたのですから、これはむしろ喜ばしいことではありませんか。」文侯はため息をついて感嘆し、「その通りだ」と言った。
解説
この章句が説くこと
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説苑・反質經侯往きて魏の太子に適く、左に羽玉具の劍を帶び、右に環佩を帶び、左の光右を照らし、右の光左を照らす。坐すること頃有るも、太子視ざるなり、又問わざるなり。經侯曰く、「魏國も亦寶有りや?」太子曰く、「有り。」經侯曰く、「其の寶は何如?」太子曰く、「主信じ臣忠にして、百姓上に戴く。此れ魏の寶なり。」經侯曰く、「吾が問う所は、是を之れ謂うに非ざるなり。乃ち其の器を問うのみ。」太子曰く、「有り。徒師沼魏を治めて市に豫賈無く、郤辛陽を治めて道に遺を拾わず、芒卯朝に在りて四鄰の賢士相い因りて見えざる無し。此の三大夫は乃ち魏國の大寶なり。」是に於て經侯默然として應えず、左に玉具を解き、右に環佩を解き、之を坐に委て、愆然として起ち、默然として謝せず、趨りて出で、車に上りて驅け去る。魏の太子騎をして劍佩を操りて經侯を逐わしめ、經侯に告げしめて曰く、「吾德の寶とする所無く、珠玉の守る所と為る能わず、此れ寒に衣るべからず、飢えに食らうべからず、我に賊を遺す無かれ。」と。是に於て經侯門を杜じて出でず、死を傳う。
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説苑・反質季文子魯に相たり、妾帛を衣ず、馬粟を食らわず。仲孫它諫めて曰く、「子魯の上卿為るに、妾帛を衣ず、馬粟を食らわず、人其れ子を以て愛と為し、且つ國を華ならしめずと為さん。」と。文子曰く、「然るか?吾國人の父母の麤を衣、蔬を食らうを觀る、吾是を以て敢えてせざるなり。且つ吾聞く君子は德を以て國を華ならしむ、妾と馬とを以てすとは聞かず。夫れ德とは我に得て、又彼に得る、故に行うべし。若し奢侈に淫し、文章に沈まば、自ら反る能わず、何を以て國を守らんや?」仲孫它慚じて退く。
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説苑・復恩魏の文侯中山を攻む、楽羊将たり、已に中山を得、還り反りて文侯に報ず、喜功の色有り、文侯主書に命じて曰く、「群臣賓客の献ずる所の書、操りて以て進めよ」と。主書の者両篋を挙げて以て進む、将軍をして之を視しむるに、尽く中山を難ずるの事なり、将軍還り走りて北面して再拝して曰く、「中山の挙は、臣の力に非ず、君の功なり」と。
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『新序』雜事第二魏の文侯出でて遊ぶ。路人の裘を反にして芻を負うを見る。文侯曰く、胡爲れぞ裘を反にして芻を負う、と。對えて曰く、臣其の毛を愛しむ、と。文侯曰く、若は其の裏盡きて、毛の恃む所無きを知らざるか、と。明年、東陽の上計錢布十倍す。大夫畢く賀す。文侯曰く、此れ我を賀する所以に非ざるなり。譬うれば夫の路人の裘を反にして芻を負うに異なる無きなり。將に其の毛を愛しまんとして、其の裏盡くれば毛の恃む所無きを知らざるなり。今吾が田地は廣きを加えず、士民は衆きを加えず。而して錢十倍す。必ず之を士大夫に取ればなり。吾之を聞く、下安からざれば、上居る可からず、と。此れ我を賀する所以に非ざるなり、と。
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説苑・反質趙の簡子弊車瘦馬に乘り、羖羊の裘を衣る、其の宰進みて諫めて曰く、「車新たなれば則ち安く、馬肥ゆれば則ち往來疾く、狐白の裘は溫にして且つ輕し。」と。簡子曰く、「吾知らざるに非ざるなり。吾之を聞く、君子善を服せば則ち益々恭しく、細人善を服せば則ち益々倨ると。我以て自ら備う、恐らくは細人の心有らんことをと。傳に曰く、周公位尊くして愈よ卑く、敵に勝ちて愈よ懼れ、家富みて愈よ儉なり、故に周氏八百餘年なり、此を之れ謂うなり。」と。
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説苑・反質衛の叔孫文子王孫夏に問いて曰く、「吾が先君の廟小なり、吾之を更めんと欲す、可なるか?」對えて曰く、「古の君子は、儉を以て禮と為す。今の君子は、汰を以て之に易う。夫れ衛國貧しと雖も、豈に文履一奇を以て、十稷の繡に易うる無からんや?以て禮に非ずと為すなり。」文子乃ち止む。