説苑 / 反質
經侯往適魏太子,左帶羽玉具劍,右帶環佩,左光照右,右光照左;坐有頃,太子不視也,又不問也。經侯曰:「魏國亦有寶乎?」太子曰:「有。」經侯曰:「其寶何如?」太子曰:「主信臣忠,百姓上戴。此魏之寶也。」經侯曰:「吾所問者,非是之謂也。乃問其器而已。」太子曰:「有。徒師沼治魏而市無豫賈,郤辛治陽而道不拾遺,芒卯在朝而四鄰賢士無不相因而見。此三大夫乃魏國之大寶。」於是經侯默然不應,左解玉具,右解環佩,委之坐,愆然而起,默然不謝,趨而出,上車驅去。魏太子使騎操劍佩逐與經侯,使告經侯曰:「吾無德所寶,不能為珠玉所守;此寒不可衣,飢不可食,無為遺我賊。」於是經侯杜門不出,傳死。
新字:経侯往適魏太子,左帯羽玉具剣,右帯環佩,左光照右,右光照左;坐有頃,太子不視也,又不問也。経侯曰:「魏国亦有宝乎?」太子曰:「有。」経侯曰:「其宝何如?」太子曰:「主信臣忠,百姓上戴。此魏之宝也。」経侯曰:「吾所問者,非是之謂也。乃問其器而已。」太子曰:「有。徒師沼治魏而市無予賈,郤辛治陽而道不拾遺,芒卯在朝而四鄰賢士無不相因而見。此三大夫乃魏国之大宝。」於是経侯黙然不応,左解玉具,右解環佩,委之坐,愆然而起,黙然不謝,趨而出,上車駆去。魏太子使騎操剣佩逐与経侯,使告経侯曰:「吾無徳所宝,不能為珠玉所守;此寒不可衣,飢不可食,無為遺我賊。」於是経侯杜門不出,伝死。
書き下し
經侯往きて魏の太子に適く、左に羽玉具の劍を帶び、右に環佩を帶び、左の光右を照らし、右の光左を照らす。坐すること頃有るも、太子視ざるなり、又問わざるなり。經侯曰く、「魏國も亦寶有りや?」太子曰く、「有り。」經侯曰く、「其の寶は何如?」太子曰く、「主信じ臣忠にして、百姓上に戴く。此れ魏の寶なり。」經侯曰く、「吾が問う所は、是を之れ謂うに非ざるなり。乃ち其の器を問うのみ。」太子曰く、「有り。徒師沼魏を治めて市に豫賈無く、郤辛陽を治めて道に遺を拾わず、芒卯朝に在りて四鄰の賢士相い因りて見えざる無し。此の三大夫は乃ち魏國の大寶なり。」是に於て經侯默然として應えず、左に玉具を解き、右に環佩を解き、之を坐に委て、愆然として起ち、默然として謝せず、趨りて出で、車に上りて驅け去る。魏の太子騎をして劍佩を操りて經侯を逐わしめ、經侯に告げしめて曰く、「吾德の寶とする所無く、珠玉の守る所と為る能わず、此れ寒に衣るべからず、飢えに食らうべからず、我に賊を遺す無かれ。」と。是に於て經侯門を杜じて出でず、死を傳う。
現代語訳
経侯(趙の使者)が魏の太子のもとを訪れ、左には羽根と玉飾りのついた剣を帯び、右には環と玉佩を帯び、左の輝きが右を照らし、右の輝きが左を照らすほどの豪華さであった。しばらく座っていたが、太子は彼を見ることもなく、また何も尋ねることもなかった。経侯は「魏の国にも宝はあるのですか」と尋ねた。太子は「あります」と答えた。経侯は「その宝とはどのようなものですか」と尋ねた。太子は「主君は臣下を信頼し、臣下は忠実であり、百姓は上を敬い戴く。これが魏の宝です」と答えた。経侯は「私が尋ねているのは、そのようなことではありません。宝物としての器物についてお尋ねしているだけです」と言った。太子は答えた。「それならばあります。徒師沼が魏を治めれば市場で不当な高値をふっかける者がおらず、郤辛が陽の地を治めれば道に落とし物を拾う者がおらず、芒卯が朝廷に仕えれば周辺国の賢士たちが皆彼を頼って謁見に訪れます。この三人の大夫こそが、魏国の大いなる宝なのです。」ここで経侯は黙り込んで答えることができず、左の玉飾りを外し、右の玉佩を外して、それを座席に置き去りにし、ばつが悪そうに立ち上がり、黙ったまま挨拶もせずに、急いで退出し、車に乗って走り去った。魏の太子は騎馬の従者に剣と佩玉を持たせて経侯を追わせ、経侯にこう告げさせた。「私には徳という宝がなく、真珠や玉を守り通すことができません。これは寒さをしのぐ衣にもならず、飢えを満たす食べ物にもなりません。私に賊(盗品のような余計な重荷)を残していかないでください。」経侯はこれ以来、門を閉ざして外に出ず、そのまま亡くなったと伝えられている。
解説
この章句が説くこと
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史記 田敬仲完世家魏王問ひて曰く、「王も亦た宝有るか」と。威王曰く、「有る無し」と。梁王曰く、「寡人の国小なるがごときすら、尚ほ径寸の珠の車の前後を照らすこと各おの十二乗なる者十枚有り、奈何ぞ萬乗の国を以て宝無からんや」と。威王曰く、「寡人の宝と為す所以は王と異なる。吾が臣に檀子なる者有り、南城を守らしむれば、則ち楚人敢へて寇を為さず。吾が吏に黔夫なる者有り、徐州を守らしむれば、則ち燕人北門を祭る。吾が臣に種首なる者有り、盜賊に備へしむれば、則ち道遺を拾はず。将に以て千里を照らさんとす、豈に特だ十二乗のみならんや」と。梁惠王慚ぢ、懌ばずして去る。
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説苑・反質魏の文侯御廩災す、文侯素服して正殿を辟くること五日、群臣皆素服して弔す、公子成父獨り弔せず。文侯殿に復るや、公子成父趨りて入りて賀して曰く、「甚だ大いに善し!夫の御廩の災いや。」と。文侯色を作して悅ばず、曰く、「夫の御廩とは、寡人の寶の藏する所なり、今火災あり、寡人素服して正殿を辟け、群臣皆素服して弔す。子に至りて、大夫にして弔せず。今已に復辟せるに、猶お入りて賀するは何を為すや?」と。公子成父曰く、「臣之を聞く、天子は四海の內に藏し、諸侯は境內に藏し、大夫は其の家に藏し、士庶人は篋櫝に藏すと。其の藏する所に非ざれば必ず天災有り、必ず人患有り。今幸いに人患無くして、乃ち天災有り、亦善からずや!」と。文侯喟然として嘆じて曰く、「善し!」と。
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説苑・尊賢魏の文侯、中山より安邑に奔命す。田子方之に従う。夫子撃(太子撃)之に過ぐるに、車を下りて趨る。子方坐乗すること故の如し。太子に告げて曰く、「我が為に君に請え、我が朝歌するを待て」と。太子説ばず、因りて子方の為に曰く、「貧窮なる者の人に驕るを識らざるか、富貴なる者の人に驕るをや」と。子方曰く、「貧窮なる者は人に驕る、富貴なる者は安んぞ敢えて人に驕らんや。人主人に驕りて其の国を亡ぼす、吾未だ国を以て亡ぶるを待つ者を見ざるなり。大夫人に驕りて其の家を亡ぼす、吾未だ家を以て亡ぶるを待つ者を見ざるなり。貧窮なる者若し意を得ずんば、履を納れて去る、安くに往くとして貧窮を得ざらんや。貧窮なる者は人に驕る、富貴なる者は安んぞ敢えて人に驕らんや」と。太子及び文侯、田子方の語を道う。文侯歎じて曰く、「吾が子の故に非ずんば、吾安んぞ賢人の言を聞くを得んや。吾子方に下るに行を以てし、得て之を友とせり。吾子方を友としてより、君臣益々親しみ、百姓益々附す、吾是を以て士を友とするの功を得たり。我中山を伐たんと欲するに、吾武を以て楽羊に下る、三年にして中山我に献ぜらる、我是を以て武を有つの功を得たり。吾此に少しく進む所以の者は、吾未だ智を以て我に驕る者を見ざればなり。若し智を以て我に驕る者を得ば、豈古の人に及ばざらんや」と。
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『新序』雜事第一秦楚を伐たんと欲し、使者をして往きて楚の寶器を觀しむ。楚王之を聞き、令尹子西を召して問う。曰く、秦楚の寶器を觀んと欲す。吾が和氏の璧、隨侯の珠、以て諸を示す可きか、と。令尹子西對えて曰く、知らざるなり、と。昭奚恤を召して問う。昭奚恤對えて曰く、此れ吾が國の得失を觀て之を圖らんと欲するなり。寶器に在らず、賢臣に在り。珠玉玩好の物は、寶重なる者に非ず、と。王遂に昭奚恤をして之に應ぜしむ。
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説苑・尊賢趙の簡子河に游びて之を楽しみ、歎じて曰く、「安んぞ賢士を得て与に処らんや」と。舟人古乗跪きて対えて曰く、「夫れ珠玉は足無くして、此を去ること数千里なるに来たる能わる所以の者は、人之を好めばなり。今士は足有りて来たらざるは、此れ是れ吾が君之を好まざるか」と。趙の簡子曰く、「吾が門左右の客千人、朝食足らざれば、暮に市征を収め、暮食足らざれば、朝に市征を収む。吾尚お士を好まずと謂うべけんや」と。舟人古乗対えて曰く、「鴻鵠高く飛び遠く翔るは、其の恃む所の者六翮なり。背上の毛、腹下の毳は、尺寸の数無く、之を去りて把に満つとも、飛ぶこと之が為に益々卑しくなる能わず、之を益して把に満つとも、飛ぶこと之が為に益々高くなる能わず。知らず、門下左右の客千人なる者、六翮の用有りや、将た尽く毛毳ならんや」と。
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『新序』節士第七宋人に玉を得たる者有り。諸を司城子罕に獻ず。子罕受けず。玉を獻ずる者曰く、以て玉人に示すに、玉人以て寶と爲す。故に敢えて之を獻ず、と。子罕曰く、我は不貪を以て寶と爲す。爾は玉を以て寶と爲す。若し我に與うれば、皆な寶を喪うなり。人各ミ其の寶を有つに若かず、と。故に宋國の長者曰く、子罕は寶無きに非ざるなり。寶とする所の者異なればなり。今百金と摶黍とを以て兒子に示さば、兒子必ず摶黍を取らん。和氏の璧と百金とを以て鄙人に示さば、鄙人必ず百金を取らん。和氏の璧と道德の至言とを以て、賢者に示さば、賢者必ず至言を取らん。其の知彌ミ精なれば、其の取る彌ミ精なり。其の知彌ミ觕なれば、其の取る彌ミ觕なり。子罕の寶とする所の者は至れり、と。