史記 / 田敬仲完世家
魏王問曰:「王亦有寶乎?」威王曰:「無有。」梁王曰:「若寡人國小也,尚有徑寸之珠照車前後各十二乘者十枚,奈何以萬乘之國而無寶乎?」威王曰:「寡人之所以爲寶與王異。吾臣有檀子者,使守南城,則楚人不敢爲寇東取,泗上十二諸侯皆來朝。吾臣有子者,使守髙唐,則趙人不敢東漁於河。吾吏有黔夫者,使守徐州,則燕人祭北門,趙人祭西門,徙而從者七千餘家。吾臣有種首者,使備盜賊,則道不拾遺。將以照千里,豈特十二乘哉!」梁惠王慚,不懌而去。
新字:魏王問曰:「王亦有宝乎?」威王曰:「無有。」梁王曰:「若寡人国小也,尚有径寸之珠照車前後各十二乗者十枚,奈何以万乗之国而無宝乎?」威王曰:「寡人之所以為宝与王異。吾臣有檀子者,使守南城,則楚人不敢為寇東取,泗上十二諸侯皆来朝。吾臣有子者,使守高唐,則趙人不敢東漁於河。吾吏有黔夫者,使守徐州,則燕人祭北門,趙人祭西門,徙而従者七千余家。吾臣有種首者,使備盗賊,則道不拾遺。将以照千里,豈特十二乗哉!」梁恵王慚,不懌而去。
書き下し
魏王問ひて曰く、「王も亦た宝有るか」と。威王曰く、「有る無し」と。梁王曰く、「寡人の国小なるがごときすら、尚ほ径寸の珠の車の前後を照らすこと各おの十二乗なる者十枚有り、奈何ぞ萬乗の国を以て宝無からんや」と。威王曰く、「寡人の宝と為す所以は王と異なる。吾が臣に檀子なる者有り、南城を守らしむれば、則ち楚人敢へて寇を為さず。吾が吏に黔夫なる者有り、徐州を守らしむれば、則ち燕人北門を祭る。吾が臣に種首なる者有り、盜賊に備へしむれば、則ち道遺を拾はず。将に以て千里を照らさんとす、豈に特だ十二乗のみならんや」と。梁惠王慚ぢ、懌ばずして去る。
現代語訳
魏王が尋ねた。「王にも宝はおありか」。威王は言った。「ない」。梁王は言った。「私の国のように小さくとも、直径一寸の珠で車の前後を十二乗分も照らすものが十枚もあります。それなのに、万乗の大国に宝がないとは、どういうことですか」。威王は言った。「私が宝とするものは、王とは違います。私の臣に檀子という者がいて、南城を守らせれば、楚の者は攻め込もうとしません。私の役人に黔夫という者がいて、徐州を守らせれば、燕の者は北門を祭って無事を祈るほどです。私の臣に種首という者がいて、盗賊に備えさせれば、道に落ちているものを拾う者もいなくなります。これらは千里を照らそうというもの。どうして車十二乗分どころのものでしょうか」。梁の惠王は恥じ入り、不機嫌なまま去った。
解説

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説苑・反質經侯往きて魏の太子に適く、左に羽玉具の劍を帶び、右に環佩を帶び、左の光右を照らし、右の光左を照らす。坐すること頃有るも、太子視ざるなり、又問わざるなり。經侯曰く、「魏國も亦寶有りや?」太子曰く、「有り。」經侯曰く、「其の寶は何如?」太子曰く、「主信じ臣忠にして、百姓上に戴く。此れ魏の寶なり。」經侯曰く、「吾が問う所は、是を之れ謂うに非ざるなり。乃ち其の器を問うのみ。」太子曰く、「有り。徒師沼魏を治めて市に豫賈無く、郤辛陽を治めて道に遺を拾わず、芒卯朝に在りて四鄰の賢士相い因りて見えざる無し。此の三大夫は乃ち魏國の大寶なり。」是に於て經侯默然として應えず、左に玉具を解き、右に環佩を解き、之を坐に委て、愆然として起ち、默然として謝せず、趨りて出で、車に上りて驅け去る。魏の太子騎をして劍佩を操りて經侯を逐わしめ、經侯に告げしめて曰く、「吾德の寶とする所無く、珠玉の守る所と為る能わず、此れ寒に衣るべからず、飢えに食らうべからず、我に賊を遺す無かれ。」と。是に於て經侯門を杜じて出でず、死を傳う。
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国語・楚語下王孫圉(おうそんぎょ)晋に聘す。定公之を饗す。趙簡子玉を鳴らして以て相(しょう)たり。王孫圉に問いて曰く、「楚の白珩(はくこう)猶お在りや」と。対えて曰く、「然り」と。簡子曰く、「其の宝為ること、幾何(いくばく)ぞや」と。 曰く、「未だ嘗て宝と為さず。楚の宝とする所の者は、観射父と曰う。能く訓辞を作りて、以て事を諸侯に行い、寡君を以て口実と為すこと無からしむ。又左史倚相有り。能く訓典を道いて、以て百物を敘し、以て朝夕善敗を寡君に献じ、寡君をして先王の業を忘るること無からしむ。又能く上下鬼神に説き、其の欲悪に順道し、神をして楚国に怨痛有ること無からしむ。又藪有りて雲連徒洲(うんれんとしゅう)と曰う。金木竹箭の生ずる所なり。亀・珠・角・歯・皮・革・羽・毛は、以て賦に備えて、以て不虞に戒むる所以の者なり。以て幣帛を共(きょう)して、以て諸侯に賓享する所以の者なり。若し諸侯の好む幣具わりて、之を導くに訓辞を以てし、不虞の備え有りて、皇神之を相(たす)けば、寡君其れ以て罪を諸侯に免るべくして、国民保たれん。此れ楚国の宝なり。若し夫れ白珩は、先王の玩なり、何ぞ之を宝とせん。 「圉聞く、国の宝は六のみ、と。明王聖人能く百物を制議して、以て国家を輔相すれば、則ち之を宝とす。玉以て嘉穀を庇廕(ひいん)し、水旱の災い無からしむるに足れば、則ち之を宝とす。亀以て臧否(ぞうひ)を憲(しめ)すに足れば、則ち之を宝とす。珠以て火災を禦ぐに足れば、則ち之を宝とす。金以て兵乱を禦ぐに足れば、則ち之を宝とす。山林藪沢以て財用に備うるに足れば、則ち之を宝とす。若し夫れ譁囂(かごう)の美は、楚蛮夷なりと雖も、宝とすること能わざるなり」と。
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