説苑 / 修文
齋者思其居處也,思其笑語也,思其所為也;齋三日,乃見其所為齋者。祭之日,將入戶,僾然若有見乎其容;盤旋出戶,喟然若有聞乎嘆息之聲。先人之色,不絕於目;聲音咳唾,不絕於耳;嗜欲好惡,不忘於心;是則孝子之齋也。
新字:斎者思其居処也,思其笑語也,思其所為也;斎三日,乃見其所為斎者。祭之日,将入戶,僾然若有見乎其容;盤旋出戶,喟然若有聞乎嘆息之声。先人之色,不絶於目;声音咳唾,不絶於耳;嗜欲好悪,不忘於心;是則孝子之斎也。
書き下し
齋する者は其の居處を思い、其の笑語を思い、其の為す所を思う。齋すること三日にして、乃ち其の齋を為す所以の者を見る。祭の日、將に戶に入らんとするに、僾然として其の容を見るが若く、盤旋して戶を出づるに、喟然として其の嘆息の聲を聞くが若し。先人の色、目に絕えず、聲音咳唾、耳に絕えず、嗜欲好惡、心に忘れず。是れ則ち孝子の齋なり。
現代語訳
祭祀の前に斎戒する者は、亡くなった人が生前住んでいた場所を思い、その笑い声や語らいを思い、その行いを思う。三日間斎戒して初めて、自分が斎戒している対象である故人の姿がありありと見えてくる。祭祀の当日、廟の戸口に入ろうとすると、ぼんやりとその面影が見えるかのようであり、身をめぐらせて戸口を出る時には、ため息をつくかのようにその嘆息の声が聞こえるかのようである。亡き人の顔色は目の前から絶えることなく、その声や咳払いは耳から絶えることなく、その好みや嫌いなものは心から忘れることがない。これこそが孝行な子の斎戒のありようである。
解説
祭祀に先立つ斎戒の三日間を、単なる形式的な準備期間ではなく、故人の記憶を丁寧に呼び覚ますための能動的な追憶のプロセスとして描いている点が印象深い。姿が見え、声が聞こえるかのような感覚は、超自然的な体験というより、深く思い続けることによって記憶がありありと立ち上がってくる心理的な状態を表現していると読める。現代においても、大切な人を亡くした後の追悼や記念の機会において、形だけの儀式ではなく、その人の暮らしぶりや言葉を具体的に思い出す時間を持つことこそが、真の意味での弔いになるという教訓を示している。
この章句が説くこと
斎戒追憶孝心