荀子 / 礼論篇
祭者、志意思慕之情也。愅詭唈僾而不能無時至焉。故人之歡欣和合之時,則夫忠臣孝子亦愅詭而有所至矣。彼其所至者,甚大動也;案屈然已,則其於志意之情者惆然不嗛,其於禮節者闕然不具。故先王案為之立文,尊尊親親之義至矣。故曰:祭者、志意思慕之情也。忠信愛敬之至矣,禮節文貌之盛矣,苟非聖人,莫之能知也。聖人明知之,士君子安行之,官人以為守,百姓以成俗;其在君子以為人道也,其在百姓以為鬼事也。故鐘鼓管磬,琴瑟竽笙,韶夏護武,汋桓箾簡象,是君子之所以為愅詭其所喜樂之文也。齊衰、苴杖、居廬、食粥、席薪、枕塊,是君子之所以為愅詭其所哀痛之文也。師旅有制,刑法有等,莫不稱罪,是君子之所以為愅詭其所敦惡之文也。卜筮視日、齋戒、脩涂、几筵、饋薦、告祝,如或饗之。物取而皆祭之,如或嘗之。毋利舉爵,主人有尊,如或觴之。賓出,主人拜送,反易服,即位而哭,如或去之。哀夫!敬夫!事死如事生,事亡如事存,狀乎無形,影然而成文。
新字:祭者、志意思慕之情也。愅詭唈僾而不能無時至焉。故人之歓欣和合之時,則夫忠臣孝子亦愅詭而有所至矣。彼其所至者,甚大動也;案屈然已,則其於志意之情者惆然不嗛,其於礼節者闕然不具。故先王案為之立文,尊尊親親之義至矣。故曰:祭者、志意思慕之情也。忠信愛敬之至矣,礼節文貌之盛矣,苟非聖人,莫之能知也。聖人明知之,士君子安行之,官人以為守,百姓以成俗;其在君子以為人道也,其在百姓以為鬼事也。故鐘鼓管磬,琴瑟竽笙,韶夏護武,汋桓箾簡象,是君子之所以為愅詭其所喜楽之文也。斉衰、苴杖、居廬、食粥、席薪、枕塊,是君子之所以為愅詭其所哀痛之文也。師旅有制,刑法有等,莫不称罪,是君子之所以為愅詭其所敦悪之文也。卜筮視日、斎戒、脩涂、几筵、饋薦、告祝,如或饗之。物取而皆祭之,如或嘗之。毋利舉爵,主人有尊,如或觴之。賓出,主人拝送,反易服,即位而哭,如或去之。哀夫!敬夫!事死如事生,事亡如事存,状乎無形,影然而成文。
書き下し
祭なる者は、志意思慕の情なり。愅詭唈僾として、時に至ること無き能はず。故に人の歓欣和合の時には、則ち夫の忠臣孝子も亦た愅詭して至る所有り。彼の其の至る所の者は、甚だ大いに動くなり。案ち屈然として已めば、則ち其の志意の情に於けるや惆然として嗛たらず、其の礼節に於けるや闕然として具はらず。故に先王案ち為に之が文を立つ。尊を尊び親を親しむの義、至れり。故に曰く、祭なる者は志意思慕の情なり、と。忠信愛敬の至りなり、礼節文貌の盛んなるなり。苟くも聖人に非ざれば、之を能く知る莫し。聖人は明らかに之を知り、士君子は安んじて之を行ひ、官人は以て守と為し、百姓は以て俗を成す。其の君子に在るは以て人道と為し、其の百姓に在るは以て鬼事と為す。故に鐘鼓管磬、琴瑟竽笙、韶夏護武、汋桓箾簡象は、是れ君子の其の喜楽する所を愅詭する為の文なり。斉衰・苴杖・居廬・食粥・席薪・枕塊は、是れ君子の其の哀痛する所を愅詭する為の文なり。師旅に制有り、刑法に等有り、罪に称はざる莫きは、是れ君子の其の敦悪する所を愅詭する為の文なり。卜筮して日を視、斎戒し、涂を脩め、几筵し、饋薦し、告祝すること、或るひと之を饗くるが如し。物を取りて皆な之を祭ること、或るひと之を嘗むるが如し。爵を挙ぐるに利する毋く、主人に尊有ること、或るひと之に觴するが如し。賓出づれば、主人拝送し、反りて服を易へ、位に即きて哭すること、或るひと之を去るが如し。哀しいかな、敬しいかな。死に事ふること生に事ふるが如く、亡に事ふること存するに事ふるが如し。無形に状り、影然として文を成す。
現代語訳
祭りとは、心に思い慕う情の表れである。胸が高ぶり、息が詰まるようなその思いは、折にふれて訪れずにはいられない。だから人が喜び集い、和やかに過ごしているときにも、忠臣や孝子の胸には思いがこみ上げ、行き着くところがある。その高ぶりは非常に大きい。それをそのまま押し込めて終わりにすれば、心の情としては満たされず、礼の作法としては欠けたままになる。だから先王は、そのための形を立てた。尊ぶべき人を尊び、親しむべき人を親しむという道理は、ここに極まる。だからこう言うのである。祭りとは、心に思い慕う情の表れである、と。それは誠実さと愛と敬いの極みであり、礼の作法と装いが最も豊かに整ったものである。聖人でなければ、これを本当に理解することはできない。聖人はこれをはっきり理解し、士君子は安んじて行い、役人は職務として守り、民衆は習俗として受け継ぐ。君子にとってこれは人の道であり、民衆にとっては神霊にかかわる事柄と受け取られる。鐘や太鼓、笛や磬、琴や瑟、竽や笙、また韶や夏、護や武、汋や桓、箾や簡象といった舞楽は、君子が喜びの高ぶりを表すための形である。粗い麻の喪服、麻の杖、仮小屋暮らし、粥、薪の寝床、土くれの枕は、君子が哀しみの高ぶりを表すための形である。軍に規律があり、刑罰に等級があり、どれも罪に見合わないものがないのは、君子が憎しみの高ぶりを表すための形である。占いで日を選び、身を清め、道を整え、席を設け、供え物をささげ、祝詞を告げるさまは、まるでその人がそれを受け取っているかのようである。供え物を取り分けて祭るさまは、まるでその人が味わっているかのようである。杯を挙げても自分のためにはせず、主人が敬いを尽くすさまは、まるでその人に杯を勧めているかのようである。客が退けば主人は拝んで送り、戻って喪服に着替え、席について泣くさまは、まるでその人が去っていったかのようである。哀しいことである。敬うべきことである。死者に仕えることは生者に仕えるようにし、亡き人に仕えることは、まだ在る人に仕えるようにする。形のないものをかたどり、影のようにして形を作り上げるのである。
解説
この章句が説くこと
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『春秋左氏伝』僖公三十一年 甯武子、相の祀りを拒む三十一年春、濟西の田を取る、曹の地を分かつなり。臧文仲をして往かしむ。重館に宿る。重館の人告げて曰く、「晉新たに諸侯を得たり。必ず其の共(うやうや)しきに親しまん。速やかに行かずんば、將に及ぶ無からんとす」と。之に從ふ。曹の地を分かつこと洮より以南、東のかた濟に傅(つ)く、盡く曹の地なり。襄仲晉に如く、曹の田を拜するなり。夏、四月、四たび郊を卜して從はず。乃ち牲を免(ゆる)す、禮に非ざるなり。猶ほ三望す、亦た禮に非ざるなり。禮には常祀を卜せず、而して其の牲と日とを卜す。牛日を卜するを牲と曰ふ。牲成りて郊を卜す。上怠慢なり。望は、郊の細なり。郊せずんば、亦た望無くして可なり。秋、晉清原に蒐(かり)し、五軍を作りて以って狄を禦ぐ。趙衰卿と為る。冬、狄衛を圍む。衛帝丘に遷る。卜して曰く三百年と。衛の成公康叔の曰ふを夢む、「相予が享を奪ふ」と。公相を祀ることを命ず。甯武子可かずとして曰く、「鬼神は其の族類に非ざれば、其の祀を歆(う)けず。杞・鄫は何事ぞ。相の享けざること、此に於いて久し。衛の罪に非ざるなり。以って成王・周公の命祀を間す可からず。請ふ祀命を改めんことを」と。鄭の洩駕公子瑕を惡む。鄭伯も亦た之を惡む。故に公子瑕出でて楚に奔る。
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『慎思録』巻之三闕里誌に載す。朱子語録に曰く、宣聖は本当に像を設くべからず。春秋の祭の時、只木主を設けて祭りて可なり、と。丘瓊山曰く、塑像の設は、中国に之無し。仏教の中国に入りしより、始めて有るなり。三代以前神を祀るに、皆主を以てし、所謂像設無きなり。彼の異教之を用ふるは、怪しむに足る無き者なり。知らず吾が聖人を祀る者は、何れの時にして始めて像を為すかを、と云ふ。李元瓘の顔子立ちて侍すと言ふを観れば、則ち像は唐の前に在りて已に有るなり。嗚呼、姚燧言へる有り、北史に敢て泥人銅人を造る者有らば、門誅す、と。則ち泥人は固より中土の主を為りて以て聖人を祀るの法に非ざるなり。後世其の非を覚る莫く、亦其の道に化して之を為す。甚だ神にして之を明らかにし、声無く臭無きの道に非ざるなり。
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史記 封禅書後五世、帝武乙、神を慢りて震死す。後三世、帝紂淫乱にして、武王之を伐つ。此に由りて之を観れば、始めは未だ嘗て粛祗せずんばあらず、後稍く怠慢なり。周官に曰く、冬日至に、天を南郊に祀り、長日の至るを迎ふ。夏日至に、地祇を祭る。皆楽舞を用ひて、神乃ち得て礼す可きなり。天子は天下の名山大川を祭り、五岳は三公に視へ、四瀆は諸侯に視ふ。諸侯は其の疆内の名山大川を祭る。四瀆とは、江・河・淮・済なり。天子には明堂・辟雍と曰ひ、諸侯には泮宮と曰ふ。周公既に成王に相として、后稷を郊祀して以て天に配し、文王を明堂に宗祀して以て上帝に配す。禹の興りしより社祀を修め、后稷は稼穡す、故に稷祠有り、郊社の従りて来る所は尚し。周の殷に克ちし後十四世より、世益々衰へ、礼楽廃れ、諸侯恣に行ひ、而して幽王、犬戎の敗る所と為り、周、東して雒邑に徙る。秦の襄公、戎を攻めて周を救ひ、始めて列して諸侯と為る。秦の襄公既に侯となり、西垂に居り、自ら以為へらく少皞の神を主ると、西畤を作り、白帝を祠る。其の牲は騮駒・黄牛・羝羊各一を用ふと云ふ。其の後十六年、秦の文公、東して汧・渭の間に猟し、之に居らんことを卜して吉なり。文公、黄蛇の天より下りて地に属し、其の口の鄜衍に止まるを夢む。文公、史敦に問ふ。敦曰く、「此れ上帝の徴なり、君其れ之を祠れ」と。是に於て鄜畤を作り、三牲を用ひて白帝を郊祭す。未だ鄜畤を作らざるよりして、雍の旁に故より呉陽の武畤有り、雍の東に好畤有り、皆廃れて祠無し。或ひと曰く、「古より雍州は積みて高く、神明の隩なるを以て、故に畤を立てて上帝を郊し、諸神の祠皆聚まると云ふ。蓋し黄帝の時嘗て事を用ひ、晩周と雖も亦郊す」と。其の語は経に見えず、縉紳の者は道はず。鄜畤を作りて後九年、文公、石の若きものを獲て、陳倉の北阪の城に之を祠る。
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