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荀子 / 礼論篇

喪禮之凡,變而飾,動而遠,久而平。故死之為道也,不飾則惡,惡則不哀;尒則翫,翫則厭,厭則忘,忘則不敬。一朝而喪其嚴親,而所以送葬之者,不哀不敬,則嫌於禽獸矣,君子恥之。故變而飾,所以滅惡也;動而遠,所以遂敬也;久而平,所以優生也。

新字:喪礼之凡,変而飾,動而遠,久而平。故死之為道也,不飾則悪,悪則不哀;尒則翫,翫則厭,厭則忘,忘則不敬。一朝而喪其厳親,而所以送葬之者,不哀不敬,則嫌於禽獣矣,君子恥之。故変而飾,所以滅悪也;動而遠,所以遂敬也;久而平,所以優生也。

書き下し

喪礼の凡そは、変じて飾り、動きて遠ざかり、久しくして平らかなり。故に死の道たるや、飾らざれば則ち悪し、悪ければ則ち哀しまず。尒ければ則ち翫り、翫れば則ち厭き、厭けば則ち忘れ、忘るれば則ち敬せず。一朝にして其の厳親を喪ひて、而も之を送葬する所以の者、哀しまず敬せざれば、則ち禽獣に嫌たり。君子は之を恥づ。故に変じて飾るは、悪を滅する所以なり。動きて遠ざかるは、敬を遂ぐる所以なり。久しくして平らかなるは、生を優んずる所以なり。

現代語訳

喪礼のあらましは、移り変わりに応じて飾りを施し、時を追って遺体を遠ざけ、時がたてば平常に戻る、ということである。死というものは、飾らなければ見るに堪えず、見るに堪えなければ哀しみの心が起こらない。遺体があまりに身近にあり続ければ、なれなれしくなる。なれなれしくなれば飽き、飽きれば忘れ、忘れれば敬わなくなる。ある朝、敬愛する親を失って、その葬送にあたり哀しみも敬いもないというのでは、鳥獣と変わらない。君子はそれを恥じる。だから移り変わりに応じて飾るのは、見苦しさを消すためである。時を追って遠ざけるのは、敬いを全うするためである。時がたてば平常に戻るのは、生きている者の暮らしを大切にするためである。

解説

喪の作法を三つの言葉でまとめた段です。移り変わりに応じて飾る、時を追って遠ざける、時がたてば平常に戻る。遺体はそのままでは目を背けたくなるものですから、装いを整えて見苦しさを消す。そうすることで哀しむ心が素直に働きます。また、いつまでも身近に置けば慣れが生じ、慣れは飽きを生み、飽きは忘却を生み、忘却は敬いを失わせる。だから段階を追って遠ざけていくのです。そして時がたてば喪を解き、生きている者は日常に戻る。悲しみを消すためではなく、生者の暮らしを守るための区切りです。ここには、感情は放っておけば長くは続かないという荀子の冷静な人間観があります。だからこそ形が要るのです。私たちも、大切なことほど形にし、期限を決め、区切りをつける必要があります。感情に任せるのではなく、感情が正しく働く場をあらかじめ設計しておく。それが礼の考え方です。

この一句を、あなたの毎日に。

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