説苑 / 修文
齊宣王謂田過曰:「吾聞儒者喪親三年,喪君三年;君與父孰重?」田過對曰:「殆不如父重。」王忿然怒曰:「然則何為去親而事君?」田過對曰:「非君之土地無以處吾親,非君之祿無以養吾親,非君之爵位無以尊顯吾親;受之君,致之親,凡事君所以為親也。」宣王邑邑無以應。
新字:斉宣王謂田過曰:「吾聞儒者喪親三年,喪君三年;君与父孰重?」田過対曰:「殆不如父重。」王忿然怒曰:「然則何為去親而事君?」田過対曰:「非君之土地無以処吾親,非君之禄無以養吾親,非君之爵位無以尊顕吾親;受之君,致之親,凡事君所以為親也。」宣王邑邑無以応。
書き下し
齊の宣王田過に謂いて曰く、「吾聞く、儒者は親の喪三年、君の喪も三年、君と父と孰れか重きや?」田過對えて曰く、「殆ど父の重きに如かざるなり。」王忿然として怒りて曰く、「然らば則ち何為れぞ親を去りて君に事うるや?」田過對えて曰く、「君の土地に非ずんば以て吾が親を處く無く、君の祿に非ずんば以て吾が親を養う無く、君の爵位に非ずんば以て吾が親を尊顯する無し。之を君に受け、之を親に致す、凡そ君に事うるは親の為にする所以なり。」と。宣王邑邑として以て應うる無し。
現代語訳
斉の宣王が田過に尋ねた。「私が聞くところでは、儒者は親の喪も三年、君主の喪も三年に服すという。君主と父と、どちらが重いのか。」田過は答えた。「おそらく父の重さには及ばないでしょう。」王は怒って言った。「それならば、なぜ親のもとを離れて君主に仕えるのか。」田過は答えた。「君主の領地がなければ私の親を住まわせる場所がなく、君主の俸禄がなければ私の親を養うことができず、君主の爵位がなければ私の親を尊び顕彰することもできません。それらを君主から受け取り、親に差し出すのです。つまり君主に仕えることはすべて、親のためにしているのです。」宣王は不満げな顔をしたまま、何も言い返すことができなかった。
解説
「君主のために働く」ことと「親のために働く」ことが対立する二者択一ではなく、実は前者が後者を支える手段であるという田過の答弁は、忠と孝という一見別々の徳目が実際には接続されているという鋭い論理展開である。組織への奉仕を、家族への責任を果たすための手段として捉え直すこの視点は、現代における「なぜ働くのか」という問いに対しても、会社への忠誠と家族への愛情を対立させず両立させる論理を提供してくれる。権力者の詰問に対して怯まず筋の通った答えを返し、相手を沈黙させた田過の弁舌の巧みさも見どころである。
この章句が説くこと
忠と孝仕える理由弁舌
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