説苑 / 復恩
魏文侯與田子方語,有兩僮子衣青白衣,而侍於君前,子方曰:「此君之寵子乎!」文侯曰:「非也,其父死於戰,此其幼孤也,寡人收之。」子方曰:「臣以君之賊心為足矣,今滋甚,君之寵此子也,又且以誰之父殺之乎?」文侯愍然曰:「寡人受令矣。」自是以後,兵革不用。
新字:魏文侯与田子方語,有両僮子衣青白衣,而侍於君前,子方曰:「此君之寵子乎!」文侯曰:「非也,其父死於戦,此其幼孤也,寡人収之。」子方曰:「臣以君之賊心為足矣,今滋甚,君之寵此子也,又且以誰之父殺之乎?」文侯愍然曰:「寡人受令矣。」自是以後,兵革不用。
書き下し
魏の文侯田子方と語る、両僮子の青白の衣を衣て、君の前に侍する有り、子方曰く、「此れ君の寵子か」と。文侯曰く、「非ざるなり、其の父戦に死し、此れ其の幼孤なり、寡人之を収む」と。子方曰く、「臣君の賊心を以て足れりと為すに、今滋々甚し、君の此の子を寵するは、又且つ誰の父をか之を殺さんとするか」と。文侯愍然として曰く、「寡人令を受けたり」と。是より以後、兵革用ゐられず。
現代語訳
魏の文侯が田子方と語らっていたとき、青と白の衣をまとった二人の幼い子どもが、殿の前に控えていた。子方は「これは殿がご寵愛なさっている御子ですか」と尋ねた。文侯は「そうではない、この子らの父は戦で死に、この子らは孤児となった。それで私が引き取ったのだ」と答えた。子方は言った、「私は殿の心の中にある残忍さがすでに十分だと思っておりましたが、今それはますますひどくなっております。殿がこの子らを寵愛なさるということは、この先また誰の父親を戦で殺そうとされるおつもりなのですか」と。文侯は憐れむような表情を浮かべて言った、「私はその教えをしかと受け取った」と。それ以降、武力による戦争は用いられなくなった。
解説

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見るこの章句が説くこと
関連する章句
-
孔子家語・三恕孔子曰わく、「吾に齒とする所有り、鄙とする所有り、殆とする所有り。夫れ幼くして強学する能わず、老いて以て教うる無きは、吾之を恥ず。其の郷を去り君に事えて達し、卒に故人に遇うも、曾て舊言無きは、吾之を鄙とす。小人と処りて賢に親しむ能わざるは、吾之を殆とす。」
-
説苑・復恩東閭子嘗て富貴にして後に乞ふ、人之に問ひて曰く、「公何為れぞ是くの如きか」と。曰く、「吾自ら知る、吾嘗て相たること六七年、未だ嘗て一人をも荐めず、吾嘗て三千万を富むこと再びせしも、未だ嘗て一人をも富ましめず、士出身の咎然たるを知らざるなり。孔子曰く、『物の難きこと、小大多少各々怨悪有り、数の理なり、人にして之を得るは、外の之を仮すに在り』と」と。
-
孟子・公孫丑章句下孟子、平陸に之き、其の大夫に謂いて曰く、「子の持戟の士、一日にして、三たび伍を失わば、則ち之を去るや否や。」曰く、「三たびを待たず。」「然らば則ち子の伍を失うや亦た多し。凶年饑歲には、子の民、老羸は溝壑に轉じ、壯者の散りて四方に之く者、幾千人ぞ。」曰く、「此れ距心の為すを得る所に非ざるなり。」曰く、「今、人の牛羊を受けて之が為に之を牧する者有らば、則ち必ず之が為に牧と芻とを求めん。牧と芻とを求めて得ずんば、則ち諸を其の人に反さんか。抑々亦た立ちて其の死を視んか。」曰く、「此れ則ち距心の罪なり。」他日、王に見えて曰く、「王の都を為むる者、臣、五人を知れり。其の罪を知る者は、惟だ孔距心のみ。」王の為に之を誦す。王曰く、「此れ則ち寡人の罪なり。」
-
孟子・公孫丑章句上孟子曰く、「矢人は豈に函人より不仁ならんや。矢人は唯だ人を傷つけざらんことを恐れ、函人は唯だ人を傷つけんことを恐る。巫匠も亦た然り。故に術は慎まざる可からざるなり。孔子曰く、『仁に里るを美と為す。擇んで仁に處らずんば、焉くんぞ智を得ん。』夫れ仁は、天の尊爵なり。人の安宅なり。之を禦むるもの莫くして不仁なるは、是れ不智なり。不仁・不智・無禮・無義は、人の役なり。人の役にして役を為すを恥づるは、由ほ弓人にして弓を為るを恥ぢ、矢人にして矢を為るを恥づるがごときなり。如し之を恥ぢなば、仁を為すに如くは莫し。仁者は射の如し。射る者は己を正しくて後に發す。發して中らずとも、己に勝つ者を怨みず。諸を己に反求するのみ。」
-
荀子・勧学篇君子曰く、学は以て已むべからず。青は之を藍より取りて、藍より青く、氷は水之を為して、水より寒し。木の直きこと縄に中るも、輮めて以て輪と為せば、其の曲なること規に中り、槁暴有りと雖も、復た挺びざるは、輮之をして然らしむるなり。故に木は縄を受くれば則ち直く、金は礪に就けば則ち利く、君子は博く学びて日に己に参省すれば、則ち智明らかにして行い過ち無し。
-
伝習録・答周道通書来書に云う、「今の朱・陸の弁を為す者、尚お未だ已まず。毎に朋友に対して言う、正学の明らかならざること已に久し。且つ心力を枉費して朱・陸の為に是非を争うを須(もち)いず。只だ先生の『志を立つ』の二字に依りて人を点化せよ。若し其の人、果たして能く此の志を弁じ得来たり、決意して此の学を知らんと要せば、已に是れ大段、明白なり。朱・陸は弁ぜずと雖も、彼、自ら覚得する能わん。又た嘗て朋友の中に、人の先生の言を議する者有るを見れば、輒ち為に気を動かすを見る。昔、朱・陸の二先生の後世に紛紛の議を遺す所以の者も、亦た二先生の工夫に未だ純熟せざる有るを見る。分明に亦た気を動かすの病有り。明道の若きは則ち此れ無し。其の呉渉礼と介甫の学を論ずるを観るに、云う、『我が為に尽く諸を介甫に達せよ。他に益有らずんば、必ず我に益有らん』と。気象は何等の従容ぞ。嘗て先生の人に与うる書中にも亦た此の言を引くを見る。願わくは朋友、皆な此くの如くならんことを。如何」と。此の節の議論は極めて是なり、極めて是なり。願わくは道通、遍く以て同志に告げよ。各々自ら且つ自己の是非を論じ、朱・陸の是非を論ずる莫かれ。言語を以て人を謗るは、其の謗ること浅し。若し自己、身をもって実践する能わずして、徒らに耳に入り口に出で、呶呶として日を度らば、是れ身を以て謗るなり。其の謗ること深し。凡そ今、天下の我を論議する者、苟も能く取りて以て善と為さば、皆な是れ我を砥礪切磋するなり。則ち我に在りては警惕修省進徳の地に非ざる無し。昔人謂う、「吾が短を攻むる者は是れ吾が師なり」と。師は又た悪むべけんや。