説苑 / 修文
春秋曰:「庚戌天王崩。」傳曰:「天王何以不書葬?天子記崩不記葬,必其時也;諸侯記卒記葬,有天子在,不必其時也。」必其時奈何?天子七日而殯,七月而葬;諸侯五日而殯,五月而葬;大夫三日而殯,三月而葬;士庶人二日而殯,二月而葬。皆何以然?曰,禮不豫凶事,死而後治凶服,衣衰飾,修棺槨,作穿窆宅兆,然後喪文成,外親畢至,葬墳集,孝子忠臣之恩厚備盡矣。故天子七月而葬,同軌畢至;諸侯五月而葬,同會畢至;大夫三月而葬,同朝畢至;士庶人二月而葬,外姻畢至也。
新字:春秋曰:「庚戌天王崩。」伝曰:「天王何以不書葬?天子記崩不記葬,必其時也;諸侯記卒記葬,有天子在,不必其時也。」必其時奈何?天子七日而殯,七月而葬;諸侯五日而殯,五月而葬;大夫三日而殯,三月而葬;士庶人二日而殯,二月而葬。皆何以然?曰,礼不予凶事,死而後治凶服,衣衰飾,修棺槨,作穿窆宅兆,然後喪文成,外親畢至,葬墳集,孝子忠臣之恩厚備尽矣。故天子七月而葬,同軌畢至;諸侯五月而葬,同会畢至;大夫三月而葬,同朝畢至;士庶人二月而葬,外姻畢至也。
書き下し
春秋に曰く、「庚戌天王崩ず。」傳に曰く、「天王何を以て葬を書せざるか?天子は崩を記して葬を記せざるは、必ず其の時なればなり。諸侯は卒を記し葬を記すは、天子在す有りて、必ずしも其の時ならざればなり。」必ず其の時なりとは奈何?天子は七日にして殯し、七月にして葬る。諸侯は五日にして殯し、五月にして葬る。大夫は三日にして殯し、三月にして葬る。士庶人は二日にして殯し、二月にして葬る。皆何を以て然るか?曰く、禮は凶事を豫めせず、死して後凶服を治め、衰飾を衣、棺槨を修め、穿窆宅兆を作す、然る後喪文成り、外親畢く至り、葬墳集まり、孝子忠臣の恩厚く備え盡くさる。故に天子は七月にして葬り、同軌畢く至る。諸侯は五月にして葬り、同會畢く至る。大夫は三月にして葬り、同朝畢く至る。士庶人は二月にして葬り、外姻畢く至るなり。
現代語訳
春秋には「庚戌の日、天王が崩御した」とある。伝には「天王についてなぜ埋葬を記さないのか。天子については崩御は記すが埋葬は記さない、それは必ず定めの時期通りに行われるからである。諸侯については逝去も埋葬も記す、それは天子がおられる以上、必ずしも定めの時期通りとは限らないからである」とある。「必ず定めの時期通り」とはどういうことか。天子は七日間仮の棺に安置し、七か月後に埋葬する。諸侯は五日間安置し、五か月後に埋葬する。大夫は三日間安置し、三か月後に埋葬する。士や庶人は二日間安置し、二か月後に埋葬する。これらはすべてなぜそうなのか。答えは、礼は不幸な事態をあらかじめ準備しないものだからである。死んでから初めて喪服を整え、喪の飾りを身にまとい、棺と外棺を作り、墓穴と墓域を作る。そうして初めて喪の儀礼が整い、遠方の親族もすべて到着し、葬送の会葬者も集まり、孝子や忠臣の恩義が十分に尽くされるのである。だから天子は七か月後に埋葬し、その間に同じ車軌を用いる地域(全国)の者がすべて到着する。諸侯は五か月後に埋葬し、その間に会盟に加わる者がすべて到着する。大夫は三か月後に埋葬し、その間に同じ朝廷に仕える者がすべて到着する。士や庶人は二か月後に埋葬し、その間に姻戚がすべて到着するのである。
解説

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